moment 2015年 11/12月号
日本紀行 長野県 信州

ぬくもりの信州温泉王国

文・和田達彦 写真・小松士郎

寒風吹きすさぶ候、熱い湯を求めて220以上もの温泉地を有する温泉王国、信州へ。4つの温泉地をめぐるうち、長い歴史に育まれた建築や工芸品、酒など思いがけない出合いがあった。心身ともにほっこり温まる湯浴み旅。

  • 野猿公苑で温泉につかり、うとうとする猿。

  • 信州東部を流れる千曲川。蕩々と流れてゆくさまは、多くの歌人に歌われている。

  • “烏城”の異名をもつ漆黒の国宝・松本城。

寒風吹きすさぶ候、熱い湯を求めて220以上もの温泉地を有する温泉王国、信州へ。4つの温泉地をめぐるうち、長い歴史に育まれた建築や工芸品、酒など思いがけない出合いがあった。心身ともにほっこり温まる湯浴み旅。


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渋温泉は上信越自動車道信州中野I.C.より約20分。地獄谷温泉までは約30分。地獄谷野猿公苑へは冬期閉鎖ルートもあるため、HPで確認を。「長野駅」から善光寺までは車で約15分、小布施へは約30分。戸倉上山田温泉へは、しなの鉄道「戸倉駅」が至近。「松本駅」から扉温泉までは車で約30分、浅間温泉までは約15分、松本城までは約10分。Googleマップ


湯けむり漂う山間湯田中渋温泉郷

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「スノーモンキー」という言葉をご存じだろうか。雪が降りしきる中、温泉につかるニホンザル、と言えばわかる方も多いだろう。志賀高原にほど近い地獄谷野猿公苑の猿達は昔から海外でも知られてはいたが、長野オリンピックなどを機に認知度が大きく高まり、近年は冬季になるとこのスノーモンキーを目当てに信州を訪れる外国人観光客が急増している。

地獄谷を流れる横湯川沿いには、野猿公苑対岸の地獄谷温泉を始め、9つの温泉が点在しており、まとめて湯田中渋温泉郷と呼ぶ。このうち、湯田中温泉と並んで古い歴史をもつのが、奈良時代に開かれたとされる渋温泉。30数軒の温泉宿が並ぶこの温泉街には、泉質が異なる37もの源泉があり、複数の源泉をもつ宿も珍しくない。また大正から昭和初期にかけて建てられた木造家屋が多く残されていて、レトロな風情を醸し出している。

その中でもひときわ目を引くのが「歴史の宿 金具屋」の「斉月楼」だ。木造4階建ての建物は、1936(昭和11)年に6代目館主の発案によって建てられたもの。

「6代目は、小布施の宮大工を始め10人ほどの職人を連れて、2カ月ほどかけて伊豆箱根や京都、姫路などを回り、気に入った様式や材料を取り入れたようです」と語る、9代目の西山和樹さん。

各客室を家に見立てて造られた斉月楼の館内に足を踏み入れると、まるで異界の街に迷い込んだかのような感覚に陥る。そしてあちこちにちりばめられたユニークな意匠や細工からは、施主の屈託のない自由な遊び心が感じられて、何だかわくわくしてしまう。

歴史の宿 金具屋

精進落としの湯戸倉上山田温泉

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北信地方は、古くから善光寺平とも呼ばれる長野盆地を中心に発展してきた。この長野盆地を形成するもととなったのが、盆地の中央を南北に流れる千曲川。

千曲川の川沿いには数多くの温泉地があるが、最も有名なのは戸倉(とぐら)上山田温泉だろう。50以上の源泉を有し、街に7軒ある日帰り温泉施設ですら源泉を掛け流すほど豊富な湯量を誇る。しかし明治中期の1893(明治26)年に坂井量之助によって開湯された当初は、千曲川の氾濫に悩まされ、幾度も水の底に沈んでしまったという。その量之助が1903(明治36)年に創業した「笹屋ホテル」を訪れた。

このホテルの中庭には、建築家の遠藤新が1932(昭和7)年に設計した「豊年虫」がある。ちなみにこの名は、かつて志賀直哉がこのホテルに逗留していた際に執筆した短編のタイトルにちなんで2003年に付けられたもの。

フランク・ロイド・ライトに師事し、モダンなデザインの自由学園明日館や甲子園ホテルを設計したことで知られる遠藤だが、豊年虫は純和風の数寄屋造り。しかし8つの客室がある内部をめぐると、遠藤ならではの創意工夫が随所に見られて興味深い。部屋と部屋とを襖で仕切るのが一般的だった時代に、壁と鍵付きのドアによって各部屋を明確に分け、窓際にテーブルと椅子が置ける広縁を配したスタイルは、後の近代旅館建築のモデルとなったもの。さらに部屋ごとに間取りや庭の景色などに合わせて意匠に変化をつけている。池を配した庭は、遠藤の友人である作庭家、阿部貞著(さだあき)が手がけたもので、庭と建物の調和も美しい。

笹屋ホテル

名刹善光寺

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湯田中渋温泉郷や戸倉上山田温泉が栄えた大きな理由のひとつ、それは善光寺の存在だ。「牛に引かれて善光寺参り」という言葉があるように、古くから多くの人びとが各地から善光寺へ参詣に訪れ、その行き帰りに街道沿いにある温泉地に立ち寄った。

644(皇極3)年に創建された善光寺は、長い歴史の間、十数度も火災に見舞われ、幾度となく焼失している。現在の本堂は1707(宝永4)年に再建されたもので、棟の形が上から見るとT字型をした撞木(しゅもく)造りを採用し、総檜皮(ひわだ)葺きの屋根をもつ。間口約24メートル、奥行き約54メートル、高さ約26メートルの木造建築は、眼前にすると圧巻のスケールだ。寺の周囲にも宿坊を始め古くからの建物が数多く残り、散策すると江戸時代に来たような気分が味わえる。

信州善光寺

「逢う瀬」の街小布施

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建築を含めた歴史的な文化遺産に興味があるなら、ぜひ立ち寄ってみるべきなのが小布施。

江戸時代後期、小布施の豪農商、髙井鴻山は、江戸の日本橋で呉服商を営む小布施出身の十八屋を通じて浮世絵師の葛飾北斎と知り合い、北斎を小布施へ招いた。当時北斎はすでに齢80を超えていたが、1842(天保13)年を皮切りに4度も小布施を訪れ、さまざまな作品を残している。鴻山は北斎のためにアトリエである「碧漪軒(へきいけん)」を用意し、北斎は画作に専念しつつ、気楽な生活を楽しんだと伝わる。

この髙井鴻山記念館の周辺を始め、小布施の街には伝統的な古い日本家屋が数多く残されている。ユニークなのは、それらの建物が単に昔の状態のまま保存されているのではなく、移築やリノベーションによって暮らす人、訪れる人にとって利用しやすいように再構築しつつ、かつ新しい建物を既存の建物と調和するデザインにすることで街並みとしての景観を整えている点だ。「修景」と呼ばれるこの手法によって1980年代から生まれ変わりつづけている小布施には、古い街特有の時間が止まったような雰囲気はない。ノスタルジックでありながら、同時にモダンさすら感じられるのだ。