コースの評論記事を書く際に自戒していることがある。極力私的なことは書くな! である。読む人に関係ない話や自慢話はタブーだとしてきた。しかし、今回の東名CCはそうはいかない。経営母体のゴルフダイジェスト社は40年以上雑誌作りで勤めた会社で、1996(平成8)年に退社するまで馴染みのあるコースだから。入社した当時から会社は静岡県にゴルフ場を造る計画をしており、68(昭和43)年に18ホールが開場した。富士山の見える裾野に生まれたコースでは毎年、社員コンペが行われ、プロトーナメント開催時にはお手伝いに駆り出された。
71(昭和46)年〜97(平成9)年まで、男子プロの“ゴルフダイジェスト・トーナメント”を開催、開場10年目の78(昭和53)年に9ホールを増設して27ホールに、2003(平成15)年からは“スタンレーレディスゴルフトーナメント”開催、08(平成20)年には2グリーンのワングリーン化工事を始め、創立50周年の18(平成30)年には完成の予定。27ホールの原設計は竹村秀夫、ワングリーン化改造は加藤俊輔の手による。
久しぶりに東名CCに来ると、生まれて初めてホールインワンをしたホールや、ゲストとプレーした想い出が蘇ってきた。中でも愛鷹コースの8番(513ヤード・パー5)は忘れられない。日本のアマ名手・中部銀次郎氏とラウンドして、このティーでアドレスの大切さを教えて貰ったからだ。日本アマチュアを6回制覇した名手・中部氏の晩年、酒のお付き合いをしていた頃で、背筋を伸ばした美しいアドレスに憧れていた。
8番ホールは富士山を背に、ハウスへ向かって打ち下ろすホールで、左側はすべてOB、フェアウェイは右に延びる。ティーはOB側にあって、立ち方が難しい。中部氏が見事なショットをしたので、彼の芝に残る足跡に乗ってみた。「え? スタンスは左OBラインを指している!」と驚くと、「左を向いて右に打ち出すのが正しいアドレスさ」とあっさり言う。そういえば、我々ヘボゴルファーは右を向いて左に打つ癖があるのでミスをしやすい。正しくは逆なのだ。“目からウロコが落ちた”瞬間だった。
それだけにこのコースには愛着がある。しかも、間もなく開場50周年を迎えるのに、いまだにワングリーン化改造など、コース整備に労を尽くしている。昔は、富士山に向かって登り、背にして下りてくるホール構成だったが、27ホールになってバラエティが出た。山のコースなのにフェアウェイは広く、樹林も豊富だ。
女子プロの試合で見られる桃園コースの上がり3ホールはTV中継でお馴染みだろうが、パー3・4・5の変化も理想に近い。“正確に乗せる”、“ショットを曲げない”、“飛ばす”と持ち味の違う3ホールの構成だから。
この桃園9番ではかつて“ドラコン日本選手権”が行われていた。すり鉢状のホールで、斜面の芝に座れば、天然のギャラリー・スタンドになる。観戦するのに便利なホールなのだ。米国の設計家、ピート・ダイが「日本の丘陵地にコースを造ると自然な“スタジアム・コース”が出来る」と言っていたのを思い出す。
ゴルフ専門の出版社がコースを運営して成功したわけで、少しだけ関与した人間として嬉しい限り。半世紀を前に、更なる発展を願うばかりだ。富士の裾野の広大なコース風景を見ると、ゴルフをやっていて良かったと実感する。帰りには沼津港へ寄って、駿河湾の魚料理や寿司で気炎を上げたくなる。
東名高速道路のI.C.から近く、新東名はコース敷地の地下を通過する。その高速道路の名前をゴルフ場に冠した初代木村正文社長の先見性に敬意を表したい。