moment 2017年 11/12月号
日本紀行 宮城県仙台

“伊達者”の真髄を仙台に追う

文・石田 治 写真・戸澤直彦

2017年は伊達政宗生誕450年にあたる。政宗が開府・建都した仙台やゆかりの地、松島をゆけば、桃山文化の粋を色濃く残す多くの社寺に出合う。現代の冬の風物詩「SENDAI光のページェント」にも通ずる伊達者気質の真髄にふれる旅。

  • 仙台市街

    仙台城跡から、「杜の都」仙台市街を望む。

  • 定禅寺通

    約700mのケヤキ並木が続く仙台のシンボルロード、定禅寺通。仙台城の鬼門封じとして建てられた定禅寺(現在は廃寺)の参道が起源といわれる。

  • 瑞巌寺

    政宗が参詣の際に坐すために設けられた瑞巌寺方丈の上段の間。長谷川等伯の高弟、長谷川等胤による襖絵(復元)がはめられている。

  • 茶寮 宗園

    丹精に手入れされた日本庭園は、四季ごとに異なる佳景を見せてくれる。豊かな緑と、客室前を流れる小川のせせらぎに心安らぐ。


Access
仙台市街から茶寮 宗園までは車で約30分。瑞巌寺までは約45分。瑞巌寺から大高森へは約30分。光のページェント期間は市内が混むため、近隣の駐車場に車を停めて散策するのがおすすめ。訪れる場合は、スタッドレスタイヤなどの冬装備を忘れずに。Googleマップ


政宗が築いた城下町千代に栄える「杜の都」、仙台

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仙台駅から青葉通へ歩き出すと、ケヤキの街路樹が美しいシルエットを並べている。その樹影を見るたび、「ここは仙台なのだ」と強く感じる。そして仙台人が誇りとする「杜の都」という雅称を思い出す。

「杜」という字には、神木、神霊が宿る森、または閉ざすなどの意味がある。外敵や不浄・怪異・邪悪などから境界を閉ざし守ること(守=もり)にも通じるかもしれない。

「杜」のオリジンである藩政時代からの屋敷林は、戦時の大空襲、戦後の都市開発などで一時大きく失われた。しかし、市民は再び街に木を植え、ケヤキ並木は仙台の新しいシンボルとなった。青葉を思う市民の心が「杜の都」を再生させ、街に対する愛情も同時に育んでいる。

かつて「千代(せんだい)」と呼ばれていたこの地が「仙臺(台)」となったのは、1601(慶長6)年、伊達政宗がこの地に新たな城の普請を開始したときに遡る。政宗が国づくりの拠点として選んだ地は、“仙人が住む理想の高台”という意味を込めて改名された。

仙台城、別名青葉城は、平地より約60メートル高い山上に築かれた。東に城下町を見下ろし、南には高低差約50メートルの竜(たつ)の口渓谷、西と北には幾重もの尾根が連なる。幕府から“未だ天下人の野心あり”と警戒されつづけていた政宗は、天守閣のような武威を誇示する施設は造らなかったが、その実、仙台城は、人工は施さずとも地勢という天工で守りを固めた、いわば天然の要害だった。01年に政宗入城。ここに仙台藩62万石の治世と、宮城・仙台の近世がスタートした。

政宗が仙台入府の頃の感慨を詠んだと伝わる一首がある。——入そめて くにゆたかなる みぎりとや 千代とかぎらじ せんだいのまつ——。千年と限らずとこしえに栄えかし、と繁栄を願い、政宗が開き、築いた街。政宗の“未来へのメッセージ”を市民は今に受け止め、仙台は東北随一の都市として賑わいをみせている。

特別展でさらう政宗像ゼネラリスト、その人となり

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政宗を知るなら、伊達家寄贈の貴重な資料を保存、展示する仙台市博物館へ——。

伊達政宗は、1567(永禄10)年、伊達家16代・輝宗の嫡男として現在の山形県米沢市に生まれた。幼少時、疱瘡を患い右目の視力を失うも、その隻眼(せきがん)の異相と戦場での武勇は、のちに「独眼竜」という異名を生む。15歳での初陣以降、華々しい戦果で次々と領土を広げた。34歳のときに関ヶ原の戦いが勃発。江戸幕府開府後、仙台藩祖として国づくりを本格的に始めた。

政宗は同時代の戦国武将の中でも抜きん出て文化的教養が高かった。豊臣秀吉主催の吉野での観桜会の席では、詠んだ五首が居並ぶ公家達を驚嘆させ、漢才にも秀で、茶や能など文化人としての嗜みはすべて心得ていた。さらに達筆かつ健筆家。大名や家臣などに宛てた書状は4000通以上という。博物館では政宗の流麗な筆遣いに魅せられる。

外様大名だった政宗はまた、将軍家、幕府要人や他大名と良好な関係を築くため、多方面にさまざまな贈り物をした。自慢の品は塩鮭、筋子を詰めたまま塩漬けにした子籠(こごもり)といった鮭加工品だった。無塩の鱈をわずか2日で江戸に届けさせたという記録も残る。また政宗には、食や食席はコミュニケーションの場であるとの強いこだわりがあった。政宗の逸話を集めた『命期集(めいごしゅう)』には「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理してもてなす事」という料理観も残り、心配りの人であったことがうかがえる。ほかにも、料理好きが高じてか、軍糧の自給を目的としてか、味噌の量産化を図り城下に御塩噌蔵(おえんそぐら)が設けられたのも政宗の頃と伝わるなど、食に関するエピソードには事欠かない。

国づくりを進めていた矢先の1611(慶長16)年、藩領沿岸を慶長大震災の大津波が襲った。政宗は、2年後の13(慶長18)年、家臣・支倉常長を大使とする「慶長遣欧使節」をイスパニア(スペイン)、ローマへ送る。「天下人を目指す政宗の最後の野望」と評されることもあるが、一説には、藩領の復旧・復興事業の柱のひとつとし、海外との交流で利益と活力を得て藩領の再生と発展を目指したとも考えられている。禁教令のあおりを受けてか目的は達成されなかったが、その後政宗は、“米どころ宮城”の礎となる新田開発で、領国経営を軌道に乗せる手腕をふるった。

美濃の斎藤氏が織田信長に滅ぼされた年に生まれ、3代将軍・家光の時代まで生きた政宗。晩年は戦国武将最後の生き残りとして大名達からの尊崇を集めていたという。36(寛永13)年、江戸で70歳の生涯を閉じたとき、将軍家は、御三家以外では異例の服喪命令を江戸や京の人びとに発した。

仙台市博物館

常設展示風景。

仙台市博物館

伊達家寄贈の文化財をはじめ、仙台の歴史・文化に関する資料を収蔵。政宗生誕450年の節目となる今年は、関連資料が一堂に会した特別展「伊達政宗—生誕450年記念」が11月27日(月)まで開催中。詳細はHPへ。

住所:宮城県仙台市青葉区川内26
電話:022-225-3074
URLhttps://www.city.sendai.jp/museum/
佐藤麹味噌醤油店

佐藤麹味噌醤油店

1603(慶長8)年、政宗に従い遷った仙台で麹店を始めた老舗。9代目は品川の仙台藩江戸下屋敷に乞われ、味噌の仕込み指導に赴いたとか。昔ながらの伝統仕込みで作られる仙台味噌「特撰」などを量り売りしてくれる。

住所:宮城県仙台市若林区荒町27
電話:022-222-4712
URLhttp://www.yamasige.com/

桃山時代の建築美仙台に残る桃山の遺構を訪ねて

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仙台城の完成後、政宗がまず力を入れたのは伝統ある寺社の再建、造営だ。注目は、古刹や古社を再興する際に桃山文化の建築様式を取り入れた点だ。

桃山文化は、信長・秀吉が天下統一事業を進めていた織豊時代、戦国の終焉と天下統一の気運が高まる中に生まれた文化を指す。絢爛にして豪壮、華麗にして荘厳な彫刻や襖絵などを有する建築美術が特徴に挙げられ、戦国大名好みの美であったといえよう。今日、桃山文化の遺構が当時の光輝のまま、これほど数多く残されている街は仙台以外にないという。当時の文化の本流を生んだ京都に長く滞在した政宗の、自身で感じた“美”がそこには反映されている。

桃山建築の代表的遺構として国宝に指定されているのが「大崎八幡宮」と松島にある「瑞巌寺」だ。1607(慶長12)年、城下町の総鎮守として造営された大崎八幡宮は、現在の宮城県大崎市付近を所領としていた大崎氏の鎮守を仙台城下に遷したものであり、09(慶長14)年に方丈の上棟式が行われた瑞巌寺も、平安時代から続く名刹を伊達家の菩提寺として再建したものだ。ほかにも、9世紀初頭、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に建立した毘沙門堂が始まりと言われる松島「五大堂」や、奈良時代創建の奥州鎮護の根本道場「陸奥国分寺薬師堂」の再建も手がけている。歴史ある古社寺を流行の様式で華麗に復興・創造することは、東北文化の継承者として篤い信仰心が興した政宗流の「ルネサンス」ではなかったか。

政宗は亡くなる直前、城下を散策中、広瀬川畔の経ヶ峯(きょうがみね)に杖を立て「死後はここに埋葬せよ」と命じた。その経ヶ峯の頂に政宗の廟所「瑞鳳殿」がある。桃山文化の美を尽くしたかつての霊屋は戦災で焼失したが、戦後、その再建に先立って発掘調査が行われた。資料館には復元された容貌像などが展示され、より身近に政宗を感じられる。

市内に残る建築をひとまわりした後は、もうひとつのゆかりの地、松島へと足を運ぼう。

瑞鳳殿

瑞鳳殿正面には、かつて唐門があったが、焼失後は鋼板製の門となっている。

瑞鳳殿

政宗が没した翌年、2代藩主・忠宗が創建した政宗の廟所。空襲で焼失するも戦後再建。2001年の大改修工事で創建時の姿が再現された。再建時の発掘調査により出土した副葬品や、政宗の復元容貌像を展示する資料館も必見。政宗は身長159.4㎝、B型だったという。

住所:宮城県仙台市青葉区霊屋下23-2
電話:022-262-6250
URLhttp://www.zuihoden.com/
大崎八幡宮

正面から望む拝殿は、地の黒漆塗りの大きな破風を備えた風格ある佇まいが印象的だ。

大崎八幡宮

政宗の命により1604(慶長9)年より3年の歳月をかけて造営された仙台総鎮守の宮。拝殿の長押上には鮮やかな彫刻が組まれ、内部も狩野派による天井画や障壁画で装飾されている。桃山文化を今に伝える最古の建造物として国宝に指定されている。

住所:宮城県仙台市青葉区八幡4-6-1
電話:022-234-3606
URLhttp://www.oosaki-hachiman.or.jp/