moment 2017年 3/4月号
日本紀行 秋田県 仙北市

角館の桜と美を愛でる

文・石田 治 写真・戸澤直彦

江戸時代初期の町割を今に残す秋田県・角館。芦名氏に代わりこの地を治めた佐竹氏は、京の公家と結びつきがあり典雅な文化意識をもっていた。黒板塀からこぼれた桜が揺れる頃、文化事業に熱心な佐竹氏のもと興隆した樺細工や白岩焼など、“みちのくの小京都”が育んだ美を愛でる。

  • 川霧立つ中、桧木内川沿いに植えられた約400本のソメイヨシノが浮かびあがる。

  • 黒板塀からこぼれんばかりのシダレザクラが風情ある武家屋敷。角館を代表する佳景だ。

  • 手前には陰影をつけた写実的な花、背景には遠近法を用いた不忍池を描いた「不忍池図」。秋田蘭画の傑作と称される小田野直武の代表作だ。秋田県立近代美術館蔵

  • 樺細工の老舗「藤木伝四郎商店」が立ち上げたブランド「角館伝四郎」の主力商品「輪筒」。

  • 白岩焼の特徴は、見る者を惹きつける独特の深い青みにある(左)。従来の白岩焼に、金やプラチナといった釉薬を低温で焼き付ける陶芸技法「金彩(きんさい)」を用いた作品(右)。

“小京都の傑作”を歩く

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角館の旅は飽きない。樹林という自然の中に藩政時代からの武家屋敷が埋もれるように居並び、その背景を四季が鮮やかに彩る様がいい。

初夏には滴るような若葉が溢れ、木漏れ日が優しい影をかざす短い夏が駆け抜けると、諸葉の上には秋の日射しが凝結し、五彩七彩が空色と対峙して映え渡る。黒い板塀が景観をきりりと引き締める雪の風情は文字通りのモノトーン。そして、北奥羽に暮らす誰もが待ちわびた春には、淡紅の雲と見紛うシダレザクラの花色が街を壮大に埋めつくす。

しっとりと和風で閑雅な街を形容する「小京都」という言葉がある。封建時代の日本人はさまざまな「小京都」を各地につくりあげてきたけれど、なかでも角館は“小京都の傑作”だ。

現在の街の景観が生まれた経緯は、江戸時代初頭の1656(明暦2)年、佐竹氏一族の北家と呼ばれていた佐竹義隣(よしちか)が角館に入った時に遡る。

義隣は京の公家・高倉大納言永慶(ながよし)の次男であり、その子・義明は、正室として京の公家・三条西実号(さねえだ)の孫娘を妻に迎えた。義明夫人の嫁入り道具はすべて京風で、嫁入りの際、夫人の母は、娘が寂しくないようにと京のシダレザクラの苗木3本を持たせた。桜の木は、やがて家臣の屋敷にも植えて増やされ、現在の数は約400本。そのうち162本が国の天然記念物に指定されている。

武家屋敷の黒板塀を背景に、しなやかな枝に咲き乱れた桜花が、風にそよぎゆらゆら揺れる美しさは、春の角館を象徴する佳景として多くの人を魅了する。

ミステリアスな「秋田蘭画」

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桜陰の一角に、佐竹北家の家臣だった青柳家の屋敷があり、現在は「角館歴史村・青柳家」として一般に公開されている。

広大な敷地内に、数奇な運命を辿ったある天才画家を顕彰する展示館がある。画家とは角館の下級武士だった小田野直武。その名はあまり知られていないが、蘭学者・杉田玄白らが翻訳し、1774(安永3)年に刊行された『解体新書』の挿絵を描いた人物と聞けば、あの扉絵を思い出す人もいるだろう。

幼少期からその画才を知られていた直武は、25歳の時、久保田藩(秋田藩)から鉱山調査の依頼を受けて秋田へやって来た江戸の才人・平賀源内と出会う。

角館の宿で「真上から見た重ね餅を描け」と源内に言われた直武は、二重丸を描いただけだったが、源内はその絵に影を入れ立体的に描き直したという。直武が西洋絵画の陰影法に初めて触れた瞬間だ。

源内が江戸に帰った直後、直武は本藩から「銅山方産物吟味役」を命じられて江戸へ上り、源内宅に居候し、源内の蘭学仲間だった玄白とも出会う。

江戸での直武は、役目よりも蘭画の習得に励んだようだ。一説には、曙山(しょざん)という雅号を持ち、西洋絵画に傾倒していた藩主・佐竹義敦(よしあつ)と北家当主・佐竹義躬(よしみ)が、源内を通じてその画法を直武に学ばせるためだったとも言われている。

直武は帰国後、義敦と義躬に画法を手ほどきした。こうして江戸から遠く離れた秋田で新しい和洋折衷絵画の画派が生まれた。日本の美術史に異彩を放つ「秋田蘭画」である。

画材や画題は東洋的でありながら、西洋絵画の陰影法や遠近法などを採り入れ、風景や静物を立体的に描き出している。当時は高価だった舶載顔料のプルシアンブルーが効果的に使われた作品もある。

日本画の伝統と西洋的リアリズムを結びつけ、日本絵画にモダニズムの新しい世界を開いた直武。しかし32歳で早世し、義敦や義躬も相次いで他界する。秋田蘭画の活動期間は短いものだったが、直武のチャレンジは江戸の絵師・司馬江漢へ受け継がれ、油彩画や日本初の銅版画が制作された。

古都の美息づくモダンな里山の宿へ

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角館の北郊、里山の緩やかな起伏の中に、築200年の茅葺き古民家を移築した旅宿「角館山荘 侘桜」がある。「角館歴史村・青柳家」の管理運営を行う高橋佐知(さおき)氏が、亡き母と旅行ができなかったことを悔い、大人が家族旅行で泊まれる宿を、と構想して2011年に開業した源泉掛け流しの湯宿だ。

佐竹氏の移封に伴い秋田へやって来た青柳氏は、この地の門屋城を居城としていた戦国大名・戸沢氏に一時仕官した。青柳氏にとってもゆかりのある場所だ。

重厚な母屋は、今では入手できない栗材が使われ、落ち着きある意匠と調度が、古都の伝統美と気品を漂わせている。客室は10室。和室、和洋室のほか、「直武」「曙山」というダイニング付き和洋室も2室ある。秋田蘭画を模した掛幅や、郷土の伝統的工芸品である樺細工の障子など、角館の美が、こだわりの内装として取り入れられている。

東京・南麻布にあるミシュラン2つ星を獲得した料亭「分とく山」の総料理長が、食材豊かな秋田の恵みを「からだにおいしい料理」と表現して調製する逸品の数々は、素材本来の美味しさを引き出したやさしい味わいばかり。

里山の夜陰に月影が冴え渡る。客室に備わる半露天風呂で、静謐という贅沢に心と身体を沈めたい。

角館山荘 侘桜

角館山荘 侘桜

住所:秋田県仙北市西木町門屋字笹山2-8
電話:0187-47-3511
アクセス:秋田自動車道・大曲I.C.から約40分、JR線「角館駅」から車で約15分、秋田空港から車で約50分、「角館駅」から送迎あり(無料・要予約)
駐車場:10台
URLhttp://wabizakura.com/

“樺細工の産地”として伝承すべきこと

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太平の時代の角館には、秋田蘭画とともに、もうひとつの美術品が生まれている。現在は経済産業大臣指定の伝統的工芸品となっている「樺細工」だ。秋田蘭画と同時代の18世紀後半に北秋田の阿仁(あに)地方から技法が伝えられたといわれ、佐竹北家の武士の内職として育まれてきた。次第に意匠や技巧が凝らされて上流階級に好まれるようになり、ついには藩主への献上品として適うまでに成熟。今では全国で唯一無二の技術だ。

胴乱(煙草入れ)や印籠などの製作から始まり、やがて茶筒や箱物、そして現代のライフスタイルにとけ込む生活用品なども作られている。

樺とは桜の樹皮だ。樺(シラカバ)ではない。オオヤマザクラなどの桜を使う。気温、風向き、土質、土地の傾斜などが木の生長に影響し、厳しい環境下で育ったものほど、強靱で滑らかで、樺細工の素材として適しているという。

1851(嘉永4)年の創業以来、上質な樺細工を作りつづける老舗「藤木伝四郎商店」は、総皮茶筒や文箱といったスタンダードな伝統品とは別に、2010年「角館伝四郎」というブランドを立ち上げた。その老舗の新たなチャレンジには「昔と変わらないものを作りつづけることも大切。しかし、先人によって磨かれた伝統の技を使いながら、デザインを洗練させ、現代に合った逸品を生み出していくことも大切」という6代目の思いがあった。こうして生まれたのが看板商品の「輪筒」だ。数種の樹から薄く削り出した突板(つきいた)や桜皮の筒を輪切りして組み合わせるという新発想の製法で、これまでにない斬新なデザインが人気を集めている。

工房で、伝統の技法を見学した。経木状の樹皮を、コテを使って膠で本体に貼り付けていく。コテは常に火に当て、貼り付ける際にはいったん水に浸けて焦げない温度に下げる。職人は、じゅっという音で適温が分かるという。「一体どうやって作ったんだろう、と言われるものを作ってみたいですね」

角館こそ樺細工の産地であるという矜恃。人と自然が織り上げてきた芸術的風土の中で、今も新しい美が創造されつづけている。

もてなしと自然が魅力の人里離れた古湯

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森と桜の都・角館。街を囲んで広がる壮大な自然もまたこの地の美のひとつだ。落葉広葉樹の森の中には、古湯や秘湯がひっそりと湯けむりを上げている。

里の外れから森に分け入る。神代ダム湖の碧水を見下ろしながら未舗装の道を走ること約20分。眩しい緑の照り返しに包まれて古湯・夏瀬温泉の一軒宿「都わすれ」がある。

宿の名は、初夏に淡青紫色の花を咲かせる「ミヤコワスレ」に由来し、「ひとときの憩い」「短い別れ」といった旅情を誘う花言葉をもつ。

客室は10室。全室に露天風呂があり、滑るような湯触りの「美人の湯」が掛け流しで湯船に溢れる。森の奥に生まれたばかりの大気に肌を冷ましながら、存分に長湯を楽しみたい。

野鳥の声が雨のように注ぐ散策道を辿る。樹葉のトンネルの先には赤い吊り橋があり、峡谷の底に淡い緑色を刷いて流れる玉川の高らかな瀬音が森に反響する。夜には満天の星が降り、まどろむ樹海は太古の姿のままだ。

秋田の大地に育まれた食材が並ぶ夕膳を、仲居さんが絶妙なタイミングで給仕してくれる。親身で細かな心配りが好評で、「もう一度あのスタッフに会いたい」と訪ね来るリピーターが多いとか。

花言葉そのままに、森の奥庭に咲いた笑顔のもてなしが都会を忘れさせてくれる。

都わすれ

夏瀬温泉 都わすれ

住所:秋田県仙北市田沢湖卒田字夏瀬84
電話:0187-44-2220
アクセス:東北自動車道・盛岡I.C.から約75分、JR「角館駅」から車で約30分、秋田空港から車で約60分、「角館駅」より送迎あり(無料・要予約)
駐車場:20台
URLhttp://www.taenoyu.com/natsuseonsen.html

再興された白岩焼に見る“景色”

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角館に秋田蘭画、樺細工が生まれたのとやはり同時代、城下町東方の白岩という村に新しい陶窯「白岩焼」の煙が上った。開窯には佐竹北家の支援があったといわれ、北家の文化創造に対する熱の高さがうかがえる。

白岩焼は秋田最古の窯のひとつで当時は大いに栄えたが、明治時代中期に発生した陸羽地震で多くの窯が壊滅。1973年、江戸期の窯元の末裔で白岩焼の復興を目指していた渡邊すなお氏が、陶芸家で人間国宝の濱田庄司から、白岩の陶土の良さについて助言を得て、75年「白岩焼 和兵衛窯」を開窯する。93年には、すなお氏のご主人である敏明氏の手でレンガ8000個を使った4室の登窯が完成した。

白岩焼の特徴は、吸い込まれそうに青い海鼠釉(なまこゆう)だ。しかし、一度途絶えたために釉薬の製法は判然としない。幾度も調合を試み、ようやく深い青みを生み出すことができたという。

「この青色は、雪の中に置くととてもよく映えるんです。青い炎のようにも、あるいは吹雪にも見える。鉄釉の土色は大地。この対比は秋田の景色ですね。藁灰(わらばい)を使う海鼠釉が好まれたのも、秋田の稲作文化との深い結びつきを感じさせます」と敏明氏。そう言われ、氏の作品にそっと触れてみた。青白い海鼠釉が土色の上をもったりと流れる表情はまた、流れ出した雪解け水に潤う春の秋田の耕土を想わせた。

父・敏明氏に師事する葵さんは「白岩焼を生んだ祖先や窯を再興させた両親の思いを尊びつつ、良質な土と海鼠釉をいかし、自分にしかできない表現を模索していきたい」と話す。

佐竹北家が醸成した文化創造と進取の気質。そして直武が燃やしつづけた新たな芸術への挑戦と情熱。今なお息づく伝統と風土の上に、角館の人びとの新たなチャレンジが続く。美しい青い炎のように──。

いしだ おさむ◎1960年岩手県生まれ。ライター。大阪芸術大学芸術計画学科卒業。雑誌編集者、ユーラシア自転車横断旅行などを経て93年からフリーに。現在は行政刊行物、旅行エッセイ、人物取材などを中心に活動中。

とざわ なおひこ◎1971年仙台市生まれ。写真家。美術系大学卒業後スタジオに勤務。2001年よりフリーランスとして活動。雑誌、パンフレット、料理、ポートレートなど幅広い分野で活躍中。

moment 2017年 3/4月号より