moment 2016年 1/2月号
日本紀行 広島県 宮島

こころの故郷、宮島行

文・山口由美 写真・大井成義

日本三景のひとつにして世界遺産に登録されている宮島。その象徴、嚴島(いつくしま)神社の大鳥居をバックに雅やかな舞楽を鑑賞する時、800年余りの時を遡り平清盛の時代もかくや、と実感する。

  • 夜の嚴島神社。左手の施設は菊花祭最中の右楽房、右手はライトアップされた大鳥居。

  • 平清盛により伝えられた舞楽のひとつ「蘭陵王」。荘厳に神官が舞う。

  • 嚴島神社の開門は早朝6時半(1/1〜5を除く)。訪れた日の廻廊は静まりかえっていた。

  • 標高535mの弥山は、嚴島神社と共に世界遺産に登録されている。写真は山頂からの眺め。

  • 宮島からの帰路、寄りたい“さざなみスカイライン”。全長約10kmのワインディングロードを堪能できる。

日本三景のひとつにして世界遺産に登録されている宮島。
その象徴、嚴島(いつくしま)神社の大鳥居をバックに雅やかな舞楽を鑑賞する時、800年余りの時を遡り平清盛の時代もかくや、と実感する。
そんな「神の島」では、そこかしこで、悠久の歴史に立ち合っていると思えてくるから不思議だ……。


Access
広島空港から宮島口へは車で山陽自動車道経由で約1時間、JR広島駅から山陽本線で宮島口駅まで約30分、宮島口桟橋から宮島桟橋までフェリーで約10分。広島中心部、広島空港からさざなみスカイライン入り口までは車で約1時間。ドライブと野呂山散策は2時間ほどみておきたい。Googleマップ


嚴島神社神秘なる日本の美が凝縮された舞楽

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平安末期、嚴島神社を現在の姿に造営したのは、武士として初めて最高権力者となった平清盛である。海上に神社を築いたのは、古来信仰の対象であった宮島を傷つけないため、という説が一般的だが、さらなる理由を推測するのは、県立広島大学人間文化学部の樹下文隆教授だ。

「清盛が船を浮かべられると思ったからでしょう。船遊びは、平安時代の貴族にとって、最大の遊びでしたから」

そして、清盛が嚴島神社に持ち込んだひとつが舞楽だと言われている。

「当時、嚴島神社の別宮が京に造られたのですが、そこに派遣された巫女が、習い覚えて伝えたのではないでしょうか」

嚴島神社には、その伝統が今も粛々と受け継がれている。

1月1日の歳旦祭から始まって、12月23日の天長祭まで、年に11回奉納される。なかでも演目の数が多いのが、4月の桃花祭と10月の菊花祭だ。かつては、能もこの2回、行われていたが、現在は春のみ。神事として3日連続で奉納される能は全国的にも珍しい。

舞楽の鑑賞は、平安時代にタイムスリップしたかのような幽玄のひとときだった。

嚴島神社が藍色の闇に包まれる頃、神官が蝋燭とぼんぼりに明かりを灯す。

雅楽の音色が厳かに流れ、薄暗闇の中、演者が舞台に上がる。ゆったりとした動き。演じているのも神官だ。人の楽しみのためのエンターテインメントではない、神に捧げる舞踊には、神秘なる日本の美が凝縮されていた。

宮島散策“世界遺産” がつなぐモン・サン゠ミッシェルとの関係

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宮島を最初に信仰の対象にしたのは、大陸からの渡来人であろうと樹下教授は語る。島の中央にそびえ立つ弥山(みせん)の姿に「神」を感じたのだろう。

もともとの信仰は、海ではなく山から始まったのだ。嚴島が海の神社であるならば、宮島には山の神社もある。嚴島神社を起点にフェリー桟橋とは逆の方角に位置する大元神社だ。昔は、ここに船着き場があり、まず大元神社にお参りしてから、嚴島神社に参詣した。原爆ドーム(元広島県産業奨励館)の設計者、ヤン・レツルの手がけた瀟洒な洋館のホテルが以前、建っていたのもこのあたりだ。

歴史はめぐり、現在の宮島を訪れて驚いたのは欧米人、特にフランス人観光客が多いことだった。昨今、日本の観光地はどこも外国人で賑わっているが、これほどフランス語をよく耳にするところはない。

そのきっかけとなったのが、2009年に結ばれた、モン・サン゠ミッシェルと宮島のある廿日市市との観光友好都市提携だという。

潮の干満により、刻一刻と表情を変える海上の小島と、修道院と神社という聖域を擁する世界遺産。モン・サン゠ミッシェルが、自然を制するように天高く屹立するのに対し、嚴島神社は、自然と呼応するようにして優雅に佇む。似ているけれど、相反する。背景にあるのは、ヨーロッパと日本の自然との関わり方の違いなのか。

宮島に人が住み始めたのは室町時代後期以降。神官や僧侶も対岸に住み、巫女だけが島に住んだ。そして、長く人の死や出産は禁忌とされてきた。

だから、宮島には墓地がない。嚴島神社に続く表参道の賑わいは、いかにも観光地だが、ここは「神の島」なのだ。

みやじまの宿 岩惣紅葉谷の風景に馴染む風格ある旅館

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弥山への入り口となっている紅葉谷公園。紅葉川沿いの美しい渓谷は、宮島で屈指の景勝地である。幕末から明治にかけて、このあたり一帯の開発に尽力したのが、老舗旅館、岩惣の創業者だった。

初代の岩国屋惣兵衛が思い立ち、奉行所に願い出て、川沿いに茶店を構えながら、紅葉谷の掃除や道の整備を始めたのが1854(安政元)年のこと。旅館業となったのは、明治の初め頃という。岩国屋の岩と、惣兵衛の惣で、すなわち「岩惣」。以来、160年余りの歴史を重ねてきた。

宿泊客がまず誘われる玄関は、1892(明治25)年建造の最も古い建物だ。材に用いられているのは、「弥山木(みせんぎ)」と呼ばれる弥山で採れた宮島産の松。威風堂々として趣のある建物は、紅葉谷の風景によく馴染み、いかにも老舗らしい風格がある。

みやじまの宿 岩惣

みやじまの宿 岩惣

住所:広島県廿日市市宮島町もみじ谷
電話:0829-44-2233
アクセス:山陽自動車道・廿日市I.C.経由フェリー利用で約45分、「宮島桟橋」から徒歩約15分、「宮島桟橋」から送迎あり(当日乗船前に要予約)
駐車場:5台
URLhttp://www.iwaso.com/

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歴代の天皇・皇后両陛下、伊藤博文をはじめとする歴代の首相、夏目漱石や森鷗外などの文化人、岩惣に宿泊した著名人は数多い。

「嚴島神社の参詣が目的でいらっしゃった方が多いですから」と女将の岩村玉希さんは語るが、それにしてもの顔ぶれだ。

そうした賓客を多く迎えてきた客室棟が、川沿いに並ぶ離れである。1933(昭和8)年築の錫福館は皇室専用、1924(大正13)年築と一番古い龍門亭には池波正太郎、1928(昭和3)年築の秋錦亭には山本五十六、1950(昭和25)年築の洗心亭には、吉川英治が、宮島ゆかりの小説『新・平家物語』の執筆時に滞在したという。

離れでは、夕食だけでなく朝食も部屋食で楽しめる。丁寧にだしをとった正統派の和食の美味しいこと。閑静な環境は、昔も今も変わらない。

離れで過ごす静かな夜は、渓流のせせらぎだけが耳に心地よかった。

2016年1月現在、改装中につき利用不可。