moment 2015年 5/6月号
日本紀行 長野県軽井沢

知られざる軽井沢物語

文・山口由美 写真・竹沢うるま

「星のや軽井沢」の原点は、1914(大正3)年開業の温泉旅館にある。今では中軽井沢と呼ばれるエリアの中核をなす名宿は、温泉をこよなく愛した北原白秋など文化人たちとの交流で、現在にいたる礎を築いている。

  • 「星のや軽井沢」の客室。川辺に面した人気の「水波」ブロック。

  • 「芸術自由教育講習会」を原点とする軽井沢高原教会。

  • 浅間山の東麓、標高1,260m地点にある白糸の滝。

  • 気鋭の建築家、西沢立衛によるユニークな軽井沢千住博美術館。

  • 内村鑑三の思想を、アメリカ人建築家ケロッグが具現化した石の教会・内村鑑三記念堂。

星のや軽井沢」の原点は、1914(大正3)年開業の温泉旅館にある。今では中軽井沢と呼ばれるエリアの中核をなす名宿は、温泉をこよなく愛した北原白秋など文化人たちとの交流で、現在にいたる礎を築いている。往時の面影を残す建物や豊かな自然に抱かれて、その歴史秘話を……。

「からまつはさびしかりけり」──北原白秋

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「星のや軽井沢」の「嘉助」と「ホテルブレストンコート」の「ユカワタン」。軽井沢の星野エリアを代表するふたつのレストランの名前は、星野リゾートの前身である星野温泉の歴史と深く関わっている。

まずは「嘉助」。これは、代々星野家の当主が襲名した名前だ。初代星野嘉助は佐久で生糸業を営み、財をなした豪商だった。その後、現在の中軽井沢、すなわち、当時の沓掛に目をつけたのは、2代目嘉助(国次)である。生来の働き者で、生糸業を営むかたわら、浅間山麓の広大な原野を手に入れると、敷地内に流れる川の水力を利用して製材業を始めた。

この川が湯川だ。そう、「ユカワタン」の「ユカワ」である。ところどころに湯が湧出し、湯気が立ち上っていたことに名前の由来があるとも言われる。ユカワタンとは、星野温泉の歴史を見つめてきた川の名前とフランス語の「時間(タン)」を合わせた造語なのだ。

川に湯が湧いていたということは、すなわち温泉があることを意味した。1910(明治43)年、大水害の被害にあったのを機に2代目嘉助は、赤岩鉱泉・塩坪の湯を買い取り、温泉開発を始めた。13(大正2)年、宮造りの浴場を建設し、星野温泉と命名。翌年、旅館を開業した。それからちょうど100年の節目を迎えたのが、昨年のことである。

「水のジビエ」から作られる絵画的な一皿

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東京から車で約2時間半、北陸新幹線では1時間余り。アクセスがよくなったいまでも、夏、軽井沢に降り立つと、避暑地の風が吹いている。

「谷の集落」と呼ぶ「星のや軽井沢」の客室は湯川から引き込んだ水を囲むようにして建つ。夏の夕刻、森のヒグラシが鳴く頃、一日の終わりを温泉で締めくくり、浴衣姿で「谷の集落」をのぞむテラスに集う。温泉で火照った頬に森の風が心地よいこと。

客室の屋根には、その風を取り入れるための「風楼」と呼ばれる通気口がある。森の風を感じながらソファでくつろぐ、至福の時間である。

夕食は「ブレストンコート ユカワタン」に出かけた。鳥取の境港という海沿いの町で育った浜田統之シェフは、軽井沢で信州の豊かな食材と生産者との親密な関係に出会い、その面白さに目覚めたと語る。海のものを使用せず、あえて信州の食材に限定することで、料理をより進化させ、深くできることに気づいたのだそうだ。

コイ、大ヤマメ、大イワナ。

信州の清冽な水が育てた素材を彼は「水のジビエ」と呼ぶ。豊穣なる恵みは、絵画的な一皿となって供される。

森の風と森の恵みに抱かれる、至福の時間がそこにあった。


Access
東京から軽井沢へは関越自動車道、上信越自動車道経由で約2時間半、北陸新幹線を利用すれば東京駅から軽井沢駅まで約1時間。軽井沢駅から「星のや軽井沢」へは車で約15分。ここを拠点にすれば、本サイトにて紹介のスポットはほとんどが車で約15分内に収まる。
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やまぐち ゆみ◎1962年神奈川県生まれ。作家。慶應義塾大学法学部卒。旅とホテルを主なテーマに幅広い分野で執筆活動を展開。近著に『アマン伝説』『世界でいちばん石器時代に近い国 パプアニューギニア』などがある。

たけざわ うるま◎1977年生まれ。写真家。2010年から3年弱をかけて6大陸を巡る世界一周の旅を行う。帰国後、写真展「Walkabout」を開催。同タイトルの写真集を発行。近刊に『The Songlines』『今』(文・谷川俊太郎)など。「日経ナショナルジオグラフィック写真賞2014」グランプリ受賞。

moment 5/6月号より一部抜粋