Lifestyle

プロコーチ&ゴルフ記者
“二刀流”中村修が見た女子ツアー最前線Vol.2 桑木志帆と一緒に取り組んできたこと

桑木志帆のコーチを務め、さらには「みんなのゴルフダイジェスト」特派記者も務める「二刀流」のプロゴルファー、中村修プロ。昨年オフから指導する桑木は、今年6月の資生堂レディスでツアー初優勝を挙げ、8月のニトリレディスで今季2勝目を飾った。プロコーチとして桑木に帯同することも多い中村に、女子ツアーで目にした最前線の話題を伝えてもらう。

「記者と取材対象者」から始まった

2024年シーズンは初優勝を含む3勝を挙げ、ツアー最終戦のリコーカップでメジャー初制覇も成し遂げた桑木志帆選手。縁あって私は、23年からアドバイスを送り24年シーズンはコーチとしてサポートして来ました。

きっかけは、彼女が実質的にツアーデビューした22年です。私は記者として、「注目の新人」のような記事を書いたり、ゴルフを見たりしていました。でもその年はメルセデス・ランキング51位と、ギリギリでシードを獲ることができませんでした。

持ち球が曲がり幅の大きなドローボールだったので、シーズン終了後の取材時に「ドローの幅を狭くしたらもう少しコントロールできるようになる」と話しました。そして、飛球線後方からの動画の撮り方や、画面に線を引いて「この線に対してクラブが下から入ってドローが少し上から入ってきたらフェードになるよ」などレクチャーしました。

彼女はクラブがすごく内側から入ってきていたので、「できるだけ線の上にまっすぐ来るようにやってごらん」とアドバイスすると、2週間くらいで見事に線の真上から入って来るようになって、ストレートなボールが打てるようになっていたんです。ただ、ストレートなボールは少しズレただけで左のミスも右のミスも出るので、「どちらか打ちやすい方は?」と言うと、練習を続けていくうちに「フェードのほうが打ちやすいです」と。

彼女にとっては、ドローよりもフェードのほうがコントロールしやすくて、ショットの精度が上がる球筋だったことがわかり、23年シーズンの開幕からフェードヒッターに生まれ変わったのです。でも、初期は紆余曲折がありました。ドローとはアドレスの向きが真逆になるので、アライメントや目線、スタンスが取れなかったりと苦労もあったのですが、シーズンを戦ううちにだんだん慣れてきて、体やクラブの動きもよくなり、フェードをどんどんものにしていきました。

ドローヒッターからフェードヒッターへのチェンジには、多くの時間を費やしたという

優勝の要因はパッティングの向上

桑木選手は23年は20歳とまだ若かったので、門田実さん、小田亨さんというベテランのキャディ2人をメインにお願いして、回り方やプレーのペースなどいろいろ教わりながらやっていきました。

おかげでその年は何度も優勝争いをしたり、資生堂レディスではプレーオフに進出したり。メルセデス・ランキング10位という好成績で初シードを獲得できたのはよかったのですが、残念だったのは勝ち切るところまではいけなかったことです。

そこでその年のオフに取り組み続けて、24年の優勝につなげることができました。その一番の要因は、パッティングがよくなったことです。

まず、それまでスピン系のボール(ブリヂストン「ツアーB X」)を使っていたのを、「ツアーB XS」に変えました。それによってドライバーのスピン量が減り、曲がりの幅が少なくなったり、飛距離が伸びたりしたのですが、パッティングに関しても、打感がしっかりしているので打っている感覚があるというか、フィードバックがより得られるというメリットがありました。

パターも、23年まではセンターシャフトの大型マレットだったのが、24年は途中からピン型(ピン「PLDミルドパター」)を使うようになりました。
ピン型は芯が狭く、打点の左右のブレにも弱いという難しさ、シビアさはあるのですが、使い続けたことで彼女のパッティングのスキル、レベルが少しずつ上がっていったのです。

ニチレイレディスの週から使い始め、初日は6アンダー(1イーグル4バーディ)で首位タイスタート。そして翌々週の資生堂レディスでも長いパットがいくつも入って、初優勝することができました。
2勝目となったニトリレディスは、同じモデルでもロフトを少しつけて3度から4度に替えたら、そのロフト違いのパターがハマって優勝。
さらに、日本女子オープンからは10グラム重い360グラムのパターを投入し、4週連続ベスト10と安定した成績を残せました。

もちろん、パターだけではなく、トレーナーの筋力トレーニング、カット軌道になりすぎないようにする、入射角を緩やかにする、凡ミスもあったアプローチのルーティーンを見直すなど、いろいろな取り組みはずっとしてきました。その結果、アプローチやバンカーも含めてショット力が非常についてきたので、「あとはバッティングさえ決まれば」というところまではきていたのです。

パッティング専門コーチのもとを幾度も訪れ、研究し続けてきた

「教えすぎない」を心がける

意外に思われるかもしれませんが、桑木選手は今まで先生についてゴルフを習ったことがありません。練習場のおじさんからちょっと習ったりしたのを除けば、ほぼ独学。小さい頃からの積み重ねで、22年もシードギリギリのレベルにありました。

肩書はコーチですが、私は「ここにクラブを上げろ」とか、スウィング自体を教えることは基本的にありません。具体的に打ち方を言わないのは、自分なりにやってきた子なので、自分の気づき、自分の感覚でやっていったほうがいいだろうと思ったからです。

実際、最初に「ドローの曲がり幅を狭くしよう」と言ったときも、自分で考えて直してきました。
自分で工夫する力に長けていて、感覚が優れているので、その感覚を失わせたくない。なので、「教えすぎない」を心がけています。

打ち方を教えるのではなく、「どうしてこうなるのか」という理屈を教えて理解してもらう。スウィングだったら、「ボールに対してどういう角度で入って、クラブパス、フェースの動きがどういう風になったらフェードが打てる」という根本的な原則は教えますが、そこから先は「こうしたらこういう球が出る」と自分で考えて、自分で打ってみて、ショットの精度をより高めていきました。

パッティングに関してもですし、クラブ選びもですけど、こちらから選択肢は与えるものの、選ぶのは本人。決して「型にはめる」とか「押し付ける」ことはありません。

「このパターどう?」とすすめても全然使わないことももちろんあるし、それがある時、「ちょっと使ってみようかな」「これだとラインが作れそうです」となったり。また違うパターを渡したら「これは打感がいいです」とか、本人が全て、自分の感覚と照らし合わせて選択していったのです。

あくまで選手の主体性を尊重するという中村コーチ。大会前のギア調整も余念がない

粘り強さが出て人間的に成長

24年はバーディ数が2位でした。ということは、チャンスにつけてしっかりバーディパットが入っている。そこで、今取り組んでいるのが「OBの数を減らすこと」です。優勝者のボギー数を見ると、山下美夢有選手、竹田麗央選手など上位にいる選手はボギーの数が少ないからです。

「ボギーは1日2個まで」と目標を立ててラウンドに臨む。そうすると、無理にピンを狙って、ショートサイドに外したりすることもなくなってきますし、安全なところからアプローチするようになってきます。

ただし、これらの取り組みはさっきも言ったように、押し付けて型にはめるのではなく、私たちが選択肢を与えて、その中から桑木選手が自分で考え、自分で選んだものです。

ビジネスのPDCA(Plan(計画)・Do(実行)・Check(評価)・Action(改善))みたいなものです。試合を振り返って、3日間とも同じホールでボギーが続いたら、どうすればよかったかを一緒に考える。「ドライバーじゃなくてスプーンや5番ウッド、ユーティリティでティーショット打ってもよかったんじゃないか」とか、いろいろな選択肢が出てくるので、そういう気づきを次に活かすのです。

彼女はフェードヒッターですから、右ドッグレッグは得意だけど、左ドッグレッグはちょっと打ちにくい。左の木ギリギリを狙って打つことになるので、木に当たったり、左のバンカーに入ったりする時もありますが、今のゴルフは攻めていかないと上に行けない、勝てない試合展開になっています。セーフティに行きすぎて、左のピンでも狙わずにセンターばかり打っていてはバーディが獲れません。臨機応変に、時にはピンを狙って打つ、攻めるゴルフも現場でベテランのキャディから教わったりしています。

メジャー初制覇となったリコーカップは、初日にノーボギーで行ったのが大きかったと思います。2日目も3日目も、その日のベストスコアタイを取って、3日続けて首位の座を守れました。

今季ツアー3勝と大躍進の年であった。来期はメジャーで勝ち続ける彼女の姿を期待したい

本人に、粘り強くプレーする姿勢が備わりつつあります。日本女子オープンも、前半あまりよくなくても、後半にスコアを上げてくることができました(70・74・70・70)。
最初の頃は、調子が悪いとかボギーが続いたりすると、つい集中力が途切れるようなことがありました。それがシーズンの中で重ねていく中で、だんだんなくなってきて。

その背景には、自分の周りには支えてくれている人たちがたくさんいることを自覚するようになった「人間的な成長」があると思います。それまでは高校生からツアーに出て、卒業してプロテスト通ってツアーに来て、周りの人たちがなんでもやってくれた。それを当たり前だと思っていたのが、みんながそれぞれサポートしてくれていることにだんだん気づいてくるようになる。

人間的に成長したことで、最後の1打まで諦めないようにプレーすることが、徐々にできるようになってきました。また、人のプレーに左右されず、自分のプレーに集中できるようになったり、ボギーを打っても切り替えられるようになったり。そういうメンタル面の成長も非常に大きかったと思いますね。

中村修(なかむらおさむ)

1968年、千葉県出身。26歳でゴルフを始め、2005年に日本プロゴルフ協会(PGA)入会。PGAティーチングプロB級会員。現在、桑木志帆のコーチとしてツアーに帯同する傍ら、「みんなのゴルフダイジェスト」特派記者としても活動する。

【関連記事】

Winter 2025

レクサスカード会員のためのハイエンドマガジン「moment」のデジタルブック。
ワンランク上のライフスタイルをお届けします。