Lifestyle

注目のニュース
能登の震災から1年、被災地は今。輪島の食を支えたフランス料理人が続ける未来への活動

2024年元日に発生した能登半島地震から1年と少し。復興のさなか同年9月の豪雨が追い討ちをかけ、2度の自然災害がこの地を襲った。被災後炊き出しをはじめ、被災地の食を支えたのが輪島市で10年にわたりフランス料理店「ラトリエ・ドゥ・ノト」を営む池端隼也さん。震災後地域の料理人たちと立ち上げた「mebuki―芽吹―」を取材し、輪島の今をお届けする。

Photo:Haruna Oku
Movie:Hiroto Miyazaki
Text:Yu Yanagi
Edit & Movie Direction:Misa Yamaji(B.EAT)

「mebuki―芽吹―」の明かりは、地元の希望の光

震災からちょうど1年が経過する頃、輪島の料理人・池端隼也さんを訪ねた。

場所は震災後の2024年8月8日に開店し、池端さんが代表を務める居酒屋「mebuki―芽吹―」。

自分たちができる輪島復興の第一歩として、物件を買い上げ2024年8月8日にオープンした「mebuki―芽吹―」。

クルマから降り立った池端さんは生気に満ちた顔で店に入り、スタッフ一人ひとりと朝の挨拶を交わし、今日の営業の段取りを軽く話す。今日の取材協力の声をかけながら、出入りの業者やスタッフとも雑談を交わす。ランチ営業前の仕込みに追われる店内に朗らかな声が響く。

「忙しい日は昼も夜も満席。開店翌月の9月に豪雨災害があったから通常営業できなかったり、戻りかけていた観光客の足が途絶えたりした時期もありましたが、やっと少し戻って徐々にいい活気が出始めてきましたよ。スタッフも足りないくらい」。

のれんをかけて、いざ、開店。

「mebuki―芽吹―」は、池端さんが中心となり、輪島市内の飲食店仲間が集まって開いた居酒屋である。現在のスタッフは10名。居酒屋やラーメン店を営んでいたものの、震災や水害の影響で自店での営業が困難な料理人をはじめ、船の破損で漁ができない漁師や三代続く味噌屋さん、塗師屋の奥さんが加わった多ジャンル複合チーム。

池端さんが震災翌日の1月2日から精力的に行った炊き出しのメンバーがそのまま居酒屋のスタッフにおさまった形だ。素朴な居酒屋メニューに徹しつつ、ときにはアヒージョがあったりパスタがあったりするが、食材だけは輪島の魅力がストレートに楽しめる。そんな気楽さとシンプルさが訪れる客に好評だ。

厚さ3cmほどもある「厚切り肩ロースカツ」。ゆっくり低温で揚げる手法を池端さんがスタッフに伝授した。

「もともと輪島は人口に対して飲食店が多い町でした。それが震災と豪雨で今は夜になると本当に真っ暗。地元の人も出歩かない。町の復活は、町そのものに活気とゆとりがあること。土地の飲食店がにぎわっていることもそのひとつだと考えています」と語る。

まだまだそんな気持ちになれない、という地元の方や観光客の気持ちは理解できるが、先にここで灯りをともしておきたい。とにかく能登の美味しいもので元気になっていただける場を作りたい。そんな一心で貯金をはたき、居抜き物件を買い取ったのだという。

店内は「小上がりタイプで、ほっとくつろげるのがいい」と池端さん。カウンターは8席、6人がけのテーブル席の個室が2つ、ほかに宴会ができる広間もある。

炊き出しメンバーとして活躍してくれた飲食店仲間のために仕事を創出し、自店の営業再開の活力にしてもらったり、キャリアを活かせる仕事があれば人口流出をなんとか食い止められるという考えもあるという。

居酒屋「どんぶらこ」の店主・川端尚人さん(左)は、炊き出しを通してもう一度気持ちを奮い立たせることができたという。自店の再建を目指している。

輪島市生まれの川端尚人さんは市内の飲食店街で13年にわたって居酒屋「どんぶらこ」を営んでいた。料理歴は40年。地震で店は全壊、11月に瓦礫が撤去されて今は更地だ。

「地震から1カ月で体重が14kg落ちてしまいました。現実を受け入れきれず、何をしてよいかもわからず意欲も何もない日々でした。2月に入った頃、知り合いに声をかけられて炊き出しに参加したんです。新しい交流が刺激になって、1日の終わりにまた明日も頑張ろうと、頑張るしかないという気持ちになりました」と語る。

一方、池端さんの店「ラトリエ・ドゥ・ノト」の再建にはもう少し時間が必要だ。

「ラトリエ・ドゥ・ノト」。2024年12月4日時点の正面。耐震工事を行ったエントランス周辺だけ原型を留めているが、フロアやキッチンは壊滅的な被害を受けた。

「震災直後からこの1年、レストランの高級な料理を作る気持ちがまったく持てなかったんです。非日常より日常の生活が優先の日々ですから。だから自分の料理は、町に活気が戻り、県内外の方々が輪島で非日常を楽しみたいと思えるタイミングで再開します」。

創意工夫に満ちた美しい料理から、お腹を満たす温かな汁物を提供する立場に。

池端隼也さんは1979年輪島市生まれ。大阪で6年、フランスのミシュランガイド星付きレストランで4年半修業し、2014年に生まれ故郷に戻り「ラトリエ・ドゥ・ノト」を開店した。能登産の食材で組み立てる洗練された美しい料理が注目を集め、この店を目指して県内外からゲストが訪れるレストランに成長し、『ミシュランガイド北陸2021特別版』では一つ星を獲得。人口約2万5,000人の町・輪島初のグランメゾンという存在だった。

元塗師屋だった美しい建物をレストランにしていた震災前の「ラトリエ・ドゥ・ノト」。
写真:湯浅哲

2024年1月1日の地震では池端さん自身も被災。店舗は屋根と2階部分が1階フロアに抜け落ち、アイコンでもあったレストランの土蔵スペースからは空が見える壊滅的な状態に。家族を市内の実家に避難させたあと強い余震が続く中、震災翌日から炊き出しを行った。

池端さんが震災直後に撮影した輪島市内の様子。瓦礫の中に焼け残った泰山木だけが立つ。

そのときは、地震と寒さで心身ともに極度に疲弊している輪島の人びとに、とにかく温かいものをという一心だったと語る。水道、ガス、電気が使えない過酷な状況でこの炊き出しを維持するのは困難を極め、「水がとにかくなかったから、汁物の水分に日本酒を煮切って使ったり。ありとあらゆる工夫をしました」。

通りかかった顔見知りの飲食店仲間に一緒に炊き出しをやらないかと声をかけ、メンバーを増やし、「輪島セントラルキッチン」と名付けて1日も休むことなく6月30日まで続行した。

近隣の飲食店のメンバーと日々炊き出しの一コマ。
撮影:池端隼也

「いわば衝動的に始めたことですが輪島の皆さんにとても喜ばれたのは嬉しかったですね。でも一番救われたのは私や料理人たちです。毎日顔を合わせて話をしながら目の前のやるべきことに没頭できたことで、現実に悲嘆し過ぎることがなかったんです。そしてたった1杯のスープであっても食を通じて喜んでもらえることが料理人としてのメンタルをなんとか保つことにつながりました」。

地元の生産者は、ともに苦楽を乗り越える“同志”

2014年の「ラトリエ・ドゥ・ノト」の開店に大きな弾みとなったのは、輪島市内の上田農園の上田拓郎さんの作る野菜に惚れ込んだことがきっかけでもある。

上田農園の上田拓郎さん。サンマルツァーノのほか、カリフラワーなどの野菜も作る。

市中心部からクルマで15分、輪島市南西部で54年前から農業を営む上田農園は、常時70種ほどの野菜を極低農薬で育てている。地震によってハウスや水路の破損、地割れ、倉庫半壊などの被害に遭った。慣れない被災生活とハウスや水路の応急補修に追われ、冬野菜の収穫ができなくなった。

さらに、9月下旬の豪雨災害では、畑のすぐ横を流れる鳳至川が氾濫。農地の約4割に土石流や流木が流れ込み、何年もかけて作り上げた農園の財産ともいうべき養土が流出した。水に浸かった土は固く締まり、素人が見ても野菜が健やかに育つ肥えた土には見えない。

災害時、上田さんの売り先のない野菜を池端さんが買い取り、炊き出しに使うなど連携。

こうした現状に、池端さんは全国のお客さまから預かっていた義援金の一部を、上田さんのサポートに使いたいと申し出た。
これまで素晴らしい野菜で自身の料理を支えてくれた同志として使ってほしいと考えたのだ。

上田さんは、荒れてしまった畑を眺めながら「これから3月のトマトの苗の植え付けまでの間に一度土を掻き出しますが、水はけの具合は植えて育てて収穫してみないことにはわからない。大きな不安はありますが、池端さんが支援してくれた立派なハウスを活かせるようにしたい」と力強く話してくれた。

蟹漁解禁を前に輪島漁港が再開。船が動き、復興への明るい兆しに。

恵みの海にもようやく日常が戻りつつある。

2024年1月1日の地震で能登の海岸は最大で4.4mも隆起した。輪島港も大きく隆起したため水揚げが不可能に。船と同じ高さの浮き桟橋を作ってようやく水揚げが可能になった。

海底や護岸の隆起で漁港の機能が停止した輪島漁港は、11月6日のずわい蟹漁解禁目前に再開。7割ほどの船が稼働し、漁港にも少しずつ活気が出てきた。輪島漁港は石川県一の漁獲量を誇る良港。まき網漁、定置網漁、底引き網漁、刺し網漁など漁法が豊富であることは、ここで水揚げされる魚の種類が多いことにつながる。

港から届いたばかりの鯵をさばく池端さん。「mebuki―芽吹―」ではその日に輪島漁港や近隣の港で水揚げされた地の魚を豊富に揃える。

冬は蟹、のどぐろ、鱈、鰤、アンコウなどがよく揚がり、夏はサザエ、アワビ、岩牡蠣やマグロも揚がる。地元のベテラン漁師は「本来の漁港に戻るには10年かかるかもしれない。そのくらい海と港のダメージは大きかった。船の修繕に時間がかかるため、高齢化もあいまって廃業する同業者がいたり、漁港組合の若手が何人も輪島を離れてしまったことも大きい」と語る。

ランチの人気メニュー「日替わり5種の刺身定食」。

一方、池端さんは、これだけ種類豊富な魚が揚がるのも能登・輪島ならでは。観光客が戻って、飲食店が動き出すともう少し活気が出てくる、と考えている。「mebuki―芽吹―」の看板メニューの鮮魚も、輪島近海の旬の幸だ。

能登の自然は生きている。海に山に里に豊かな美味と景色がある。

甚大な災害に1年に2度も見舞われた能登は今、さまざまな問題に直面している。特に働き盛りの世帯の流出による人口減少やコミュニティーの断絶は、輪島にくらす人びとにやるせなさをもたらす。だからこそ、この地で必死に生きる池端さんと仲間たちの活動は大きな希望でもある。

2024年12月4日時点の輪島市中心部。焼け残った泰山木は今も生きている。「mebuki―芽吹―」の店名は、この泰山木が震災後の春に芽を吹いたことに由来する。

震災を経て復興の真っ只中にある今、一番大切なことは輪島にくらす一人ひとりが前を向き、気分を奮い立たせていくことが大切だと、池端さんは語る。

地域の飲食店をまとめ、“オール輪島”での復興を目指す池端さん。

「炊き出しを通して感じることは、たった1杯の汁物でも人の気持ちを変え、希望をもたらします。喜んでもらって元気になって、小さないい循環が生まれる。それが大きな力になって今までよりもっともっと輪島がよくなればいいなと。そのためには外からの力もどうしても必要ですから、どんどん能登に遊びに来て能登を味わっていただけたらと思います」。

mebuki―芽吹―

住所:石川県輪島市マリンタウン6-1
電話番号:090-2102-4567(受付 月曜日~土曜日 9時~22時30分)
営業時間:
ランチ:月曜日~金曜日/11時30分~14時30分(ラストオーダー 13時30分)
ディナー:月曜日~土曜日/18時~22時(ラストオーダー 21時30分)
定休日:日曜日
駐車場:あり

Access to moment DIGITAL moment DIGITAL へのアクセス

認証後のMYページから、デジタルブック全文や、
レクサスカード会員さま限定コンテンツをご覧いただけます。

マイページ認証はこちら※本サービスのご利用は、個人カード会員さまとなります。

LEXUS CARD 法人会員さまの認証はこちら

Winter 2025

レクサスカード会員のためのハイエンドマガジン「moment」のデジタルブック。
ワンランク上のライフスタイルをお届けします。