Lifestyle

日本のものづくり
有田焼の100年先の伝統を創る。
伝統とテクノロジーを融合した器づくりに挑む「李荘窯」

豊臣秀吉による「文禄・慶長の役」の際、朝鮮半島から日本に渡った陶工・李参平(りさんぺい)が佐賀県有田町に磁石場を発見したことに始まる有田焼の歴史。以降400余年、今、有田焼は世界のトップシェフたちから愛される器として新たな歴史の1ページを開いている。その牽引者である「李荘窯」の寺内信二氏を訪ねた。

Photo:Katsushi Takakura
Edit:Misa Yamaji(B.EAT)
Text:Chie Nakano(Fe)

真っ白な磁肌は陶工たちの憧れ

佐賀空港からクルマで約90分、面積の約7割を森林が占める緑豊かな有田町は日本で初めて磁器が焼かれた町だ。
有田焼の歴史は「文禄・慶長の役」の際、当時この一帯を納めていた鍋島氏が朝鮮からひとりの若き陶工・李参平を連れ帰ったことに始まる。
李参平は老中・多久家に預けられ多久領内で作陶していた。しかし、思いどおりの焼き物が叶わず、理想の土を求めていたところ1616年に有田・泉山で良質の磁石場を発見。当時、白い磁器は陶工たちの憧れであったことから有田には陶工たちが集まり、産業として発達していった。17世紀後半にはヨーロッパへの輸出も始まり、真っ白な磁肌と鮮やかな色絵は王侯貴族たちの心を魅了した。

泉山磁石場。2016年に行われた「DINING OUT ARITA with LEXUS 」の開催に伴って通路が整備され、ここでウェルカムドリンクがふるまわれた。

それにしても李参平はどうやって泉山に辿り着いたのだろう?
「あくまで私の持論ですが、泉山は有田の中でも標高が高い場所にあり、町には伊万里湾へと注ぐ有田川が流れています。川は岩盤の上に流れているので、川畔に流れてきた白い土を李参平が発見し、川上へと遡って泉山を見つけたのではないかと考えています」と寺内さん。

今も眠る眩しいほどの“白”。
泉山産の土を使った有田焼復活を目指して

上質な陶石が大量に採れることがわかってから泉山の採掘は幕末まで続き、有田焼発展の礎となった。
「この採掘跡は幼い頃の遊び場でした。今見えている岩肌部分はもっと高さがあったんですが、2005年の西方沖地震の数日前、先端部分が崩落したんです。崩れ落ちた岩肌の白さにたるや、驚きましたね」。

長い年月をかけて雨にさらされたことで、石の中に含まれた硫黄や硫化鉄が吹き出し、黄色に色づいたように見える泉山。しかし、その内部には今も眩しいほどに白い石が眠っているのだ。

「李荘窯」寺内信二氏。

鍋島藩による統治が終わりかけた頃から、有田で使われる陶石は泉山産から、陶工たちが扱いやすい熊本・天草産に変わっていき、泉山産の土を使うための技術も途絶えていった。

「泉山の石は成形後、乾燥の際に割れやすいなどの癖があるんです。しかし“有田の土で作った有田焼”という伝統も大切にしたい。企画展などでは泉山産の土でつくった作品展示を行っていますが、まだ大量生産できる製品化までは至っていません。地元の石に寄り添い、先人たちの技術をもう一度復活させたいですね」。寺内さんは純度100%のメイドイン有田復活に向け、ほかの窯元たちとともに挑戦を続けている。

泉山の陶石は真っ白。石を砕いて水につけ、沈んだ粘土を使う。

陶祖・李参平の住居跡に曽祖父が築窯
400年前の陶片に学び、作陶を極める

泉山をあとにし、李参平の住居跡につくられた「李荘窯」へ向かった。築窯したのは寺内さんの曽祖父・寺内信一氏だ。信一氏は日本で初めて本格的な西洋美術教育が行われた「工部美術学校」で美術彫刻を修めた美術教育者で、工芸学校の指導者として有田へ招聘された際にこの住居跡が用意され「李荘工房」(現在の「李荘窯」)を創業した。

「李荘窯」の入口。ここが李参平邸跡であることが示されている。

4代目当主、寺内信二さんは有田で生まれ育ち、武蔵野美術大学で工芸工業デザインを学んだ後、大手商社で商品開発や営業に携わり、1988年に帰郷した。

「有田で仕事を始めた頃は、工業製品的な匂いのする磁器より、土の温もりを感じる陶器に魅せられ、全国の産地から土を取り寄せて器づくりをしていました。でも、ある年の正月、幼稚園から大学まで一緒に過ごした幼馴染、十四代今泉今右衛門の家に招かれたんです。その席で十三代が愛用していた初期伊万里(1600年初頭)を見た瞬間、衝撃を受けました。古伊万里は美術館などで目にしていましたが、実際に料理が盛られると器と料理が引き立てあい、なんともいえない温もりがあったんです。有田焼の原点はここにあるのだと感じ、伝統を改めて見直してみようと思いましたね」。

ふと自窯の周辺を見渡すと、1600年代の陶工たちが筆を走らせた染付の陶片がいくつも見つかった。以来、寺内さんはこれら無名の陶工たちが遺した古伊万里の陶片に教えを乞いながら、染付を徹底的に追求。一から工程を見直して腕を磨き、自身の技法を習得した。

ろくろを回し、茶器を成形する寺内さん。
窯の近くには焼き損なった製品を捨てる場所「物原」があり、古伊万里の陶片が見つかる。写真は1600年代の染付芙蓉手の陶片。

焼き物のプロが集結する町、有田

「李荘窯」の工房では、若者からベテランまで少数精鋭の職人たちが分業制で仕事に励んでいる。窯業の町としての歴史が長い有田では今も各工程の技を極めた職人が集まり、有田焼を支えているのだ。また、器の成形に使われるカンナや絵付けの筆、絵の具に至るまで、焼き物づくりに関わるさまざまなプロフェッショナルたちが地元に揃っているのも有田ならでは。街全体がひとつのチームとなり、優れた窯業を支えている。

呉須を使って器に絵付け。茶色に見えるが焼成すると鮮やかな青に。呉須の絵付けには“だみ筆”と呼ばれる伝統的な筆が使われる。
有田焼らしい「赤」の絵付け。濃淡の調整も絵付師が行う。

「李荘窯」の伝統を伝えているのが唐草文様の器だ。四方八方に伸びたつる草が絡み合う唐草文様は子孫繁栄や長寿を象徴する吉祥文様のひとつ。「この文様に魅せられて、李荘窯の定番シリーズになりました。今も一つひとつ手描きで仕上げています。つる草が伸び、広がっていく様は常に前進し、人とつながっていくという弊社のテーマを表すものでもあるのです」と寺内さん。

また、寺内さんは有田焼の高い技術を絶やさぬよう、職人の手が空くとさまざまな伝統技法を用いた酒杯や蕎麦猪口をつくらせている。ショールームの一角にはそれらを集めたショーケースがあり、研鑽を怠らず、常に技術を磨きつづけることで初めて伝統が守られることを静かに物語っている。

精緻な唐草文様が見事。
「この中に有田の技術がすべて詰まっています」と寺内さん。

真髄を理解する姿勢で
トップシェフの信頼を得る

伝統を継承しつつ、現代の食生活にマッチした器づくりを行っている寺内さんだが、国内外のトップシェフたちからオーダーを受けることも多い。フーディたちの間で「李荘窯」の器は有名だ。そのきっかけとなったのが2013年のユネスコ無形文化遺産への「和食」登録だ。

「JAPANブランドを世界に紹介する取り組みがあり、香港の展示会に参加しました。以来、世界を意識するようになり、2013年にフランス・リヨンで開催された世界最大級の外食産業向けの展示会〈シラ国際外食産業見本市〉に出展しました。そこでスペインのミシュランガイド二つ星レストラン〈ムガリッツ〉のシェフ、アンドーニ・ルイス・アドゥリス氏と出会い、彼との縁を機にトップシェフたちとのネットワークができたんです」。また、寺内さんは有田焼誕生400周年を記念して2016年に開催された「DINING OUT ARITA with LEXUS」で“究極の器と料理のマリアージュ”を目指した器を提案し、好評を博した。

「シェフと仕事をする際は、必ずその店を訪ねて料理はもちろん、その店の空気感、サービスなどを実際に体感するようにしています。彼らが何を思い、何を表現しているのかを理解せずしてその店の器はつくれません」。

シェフが料理に込めたメッセージを受け取り、料理のための器とは何か、“本質”を理解して提案するのが寺内さん流。その姿勢が「李荘窯」への信頼を築き上げている。

寺内さんの器は“料理の国籍を問わない”と海外からも高い評価を受ける。

「“足して”有田は強くなる」
最新テクノロジーを柔軟に取り入れ
100年後の伝統に向けた布石を打つ

有田焼400周年という節目に行われた数々のプロジェクトに携わったあと、「李荘窯」を含む7つの窯元は自走のための次のステップとして共同で、「ARITA PLUS」というデザイン事務所兼、プロ向け食器のプロデュース会社を立ち上げた。

7つの窯で立ち上げた「ARITA PLUS」。

「ARITA PLUS」ではデザイン設計や型の削り出しのための3Dプリンタやモデリングマシンといった最新機器を導入。手技では叶わない精緻なデザインも可能にしている。寺内さんはその代表も務める。

「有田は外から人や技術が入ってきたことで発展してきた土地です。今までがそうであったように、これからもさまざまな知恵をプラスして有田の窯業を発展させたい・・・、そんな思いで社名を付けました」。
モデリングマシンを用いて完成した器は一瞬、これが有田焼なのか?と思うほどモダンで精緻な美を放つ。デザインを3DのCGデータでクライアントに見せることができるので、修正やバリエーション展開などの提案もしやすくなり、海外との仕事もスムーズになったのだとか。

CADで設計したデザインをNC切削機という機械で起こし、型をつくる。
CADのマシンは7つの窯で共有。専任のオペレーターが作業を進める。

有田の伝統を真摯に守りながらも、よきものを柔軟に取り入れ、新しい有田焼をつくる。寺内さんはまさに“守破離”の精神で、新しい有田焼を創造している。

「有田400年の歴史の中でも、一番挑戦をしていたのは最初の100年なんです。その時期に〈古伊万里様式〉〈柿右衛門様式〉〈鍋島様式〉〈金襴手(きんらんで)様式〉という4つの様式美が完成し、(少し乱暴な言い方が許されるならば)そのあとの300年間は先人の様式をアレンジしてきた。400年前と今とでは時代や生活様式が大きく変わったというのに、過去を写すだけに留まっていては進化がないと思うのです。もちろん、私は今も古伊万里に惹かれますが、そのものを真似するのではなく、そのものが持つ温かさや力強さに倣いたいと考えています。新しいことに挑戦するときは、必ず賛否両論ありますが、それが50年、100年続くと新たな“伝統”になる。有田のものづくりを衰退させないために、これからも皆と協力しながら道を拓いていきたいですね」。そんな寺内さんの言葉からは、伝統を担う者としての覚悟が伝わってくる。

革新的な挑戦こそ次の伝統を創る。100年後の有田焼はどんな進化を遂げているのだろうか?明るい未来への予感を届ける新たな有田焼に期待したい。

「伝統を継承するだけでは産地は守れません」と寺内さん。
器を削って模様をつける「鎬(しのぎ)」の技法を、CADで設計し、NC切削機で起こした型で作った「鎬-Shinogi-」シリーズ。茶色の口縁は古伊万里で用いられた技法。額縁のように全体を引き締める。

李荘窯

住所:佐賀県西松浦郡有田町白川1-4-20
電話:0955-42-2438
営業時間:8時30分~17時30分
定休日:日曜日・祝日・土曜日隔週・年末年始
http://www.risogama.jp/

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