日々のくらしに輝ける瞬間(moment)を与えてくれるモノやコト
シャンパーニュの歴史と変遷
本物と呼ばれるモノやコトに触れて、心が震えたり、エネルギーやインスピレーションを得たように感じた経験は、誰もが持っているはず。ここでは、私たちの日常に輝ける瞬間(moment)を与えてくれるプレシャスなモノやコトを、その背景に潜む伝統や、そこに精魂を傾けてきた人びとのストーリーとともに紹介していく。
かつて、厳しい自然と幾つかの偶然から生まれたシャンパーニュ。芳醇な香りと黄金色の輝き、そして立ち昇る高貴な泡は、神の恵みと人類の英知の結晶として、世界中の輝ける瞬間を飾っている。
Text:Kiyoshi Shimizu(lefthands)
セレブが愛した高級メゾンから、自社一貫生産の小さなメゾンまで、
多種多様な銘柄も魅力のひとつ
人びとを魅了するグラスの中の宝石
きらめく瞬間を彩る酒といえば、やはりシャンパーニュだろう。立ち昇る泡は宝石のように美しく、気持ちが自然と高揚する。かつては乾杯酒でしかなかったが、現在では食中酒としても親しまれている。アミューズからメインまで、どんな料理にも合わせられるだけでなく、デザートと一緒に楽しむ人も。キャビアがあれば十分という通もいる。
古今東西、この泡の魅力に夢中になった人物は多く、文豪ヘミングウェイは「金があるときはまずシャンパンを買う。それが金のいちばん正しい使い方だ」と語った。「私がシャンパンを飲むのは二つのときだけ。恋をしているときと、してないとき」と語ったのはココ・シャネルだ。
シャンパーニュはフランスのシャンパーニュ地方でつくられるスパークリングワインのこと。この土地以外でつくられるフランス産スパークリングワインはヴァン・ムスーと呼ばれている。シャンパーニュを名乗るためにはワインの法律(AOC法:原産地呼称管理法)で定められた条件を満たさなければならない。だが、そのブランド力にあやかろうとする商品も多い。かつてイヴ・サンローランが「シャンパーニュ」という名の香水を発売したが、裁判に負けて商品名を変更した。
シャンパーニュ・ブランドを保護する目的で、1941年に協会が設立され、さまざまな活動を行っている。日本事務局の代表、笹本由香理さんに活動内容についてうかがった。
「シャンパーニュの生産・製造管理だけでなく、名称保護の活動も行っています。飲料にシャンパーニュを連想させる名前を付けるのはもちろんのこと、家電、ガジェット、コスメの「色」(シャンパン・ゴールドなど)についても保護の対象となっています。ロックバンドAlexandrosは以前Champagneと名乗っていましたが、協議のうえ変更してもらった経緯もあります」
高貴な泡は奇跡の賜物?
シャンパーニュはもともとワインの産地として有名で、パリの宮廷にも献上されていた。しかし、ブドウ栽培の北限にあたる寒冷地ゆえに糖分が少ないブドウしか収穫できず、酸っぱいワインしかできなかった。また、日照時間が少なくブドウの色素が育たないので、赤ワインの生産にも不向きだった。そこで白ワインづくりに励んだが、この白ワインを樽で買ってくれたのがイギリスだった。
冬に樽でロンドンに向けて送っていたが、寒くて発酵が一時停止した状態で出荷されていた。港に到着すると、ワインを樽から分厚いガラスのボトルに詰め替えたが、春になり気温が上がってくるとボトル内で二次発酵が起き、グラスに注いだときに泡が立ち昇ったという。
これが世界初のシャンパーニュといわれている。17世紀半ばの話だ。
「私は今、星を飲んでいる!」
ドン・ペリニヨンは口にして、そう語った
シャンパーニュの誕生は偶然の産物だが、その発展に大きく貢献したのが、ドン・ピエール・ペリニヨンだった。太陽王、ルイ14世と同じ1638年にシャンパーニュ地方で生まれたドン・ペリニヨンは1668年にシャンパーニュにあるベネディクト派修道院の醸造責任者になる。
「ワインが発泡しないように工夫せよ」と指示を受けていたペリニヨンだが、当時すでにスパークリングワインが宮廷で好まれるようになっていたため、泡がたくさん出る美味しいワインをつくりたいと願った。そこで異なる生産年、異なる畑、さまざまなブドウ品種でつくられたワインを混ぜ合わせて(アッサンブラージュ)、洗練されたワインをつくり出す。
彼の最大の功績はワインやブドウ品種の違いを見定めて、理論的にアッサンブラージュを始めたことなのだ。さらに、そのころ出回っていたガラス瓶とコルクを合体させるなど、さまざまな技術を取り入れ、シャンパーニュの品質改良に成功。シャンパーニュはきめ細やかな泡と、複雑で芳醇な香りを持つようになった。
彼は自分がつくったシャンパーニュを初めて飲んだときに「私は今、星を飲んでいる!」と言ったと伝えられている。
その後も多くの人びとによって改良が加えられ、安定的に生産されるようになると、シャンパーニュはフランス王侯貴族の間に広まっていく。
その人気を一気に広めたのがナポレオン・ボナパルトだった。
彼は大のシャンパーニュ好きで「勝ったときはシャンパーニュを飲む権利がある。負けたときは飲まねばならぬ」という格言も残している。彼はシャンパーニュ産業の可能性に注目し、しばしば各生産者を訪問して激励した。遠征する際は生産者に戦地で飲むシャンパーニュを運搬させていた。ナポレオンに付き従って各地に赴いた生産者たちは、その地で商品を売り込み業績を伸ばしていく。ロシア遠征で敗れると、大量のシャンパーニュが略奪されるが、各国に広がり販路の拡大へとつながる結果に。
さらに、彼が失脚したあとに開催されたウィーン会議では、フランスが仕組んだ美食外交により夜ごとシャンパーニュが大量に振舞われ、各国の代表たちは酔っぱらって会議どころではなかった。「会議は踊る、されど進まず」だったのだ。結果、会議はフランス有利で終わり、さらに各国の代表がシャンパーニュの虜になり、祝宴には欠かせない酒だと思い込んで自国に広めるようになる。世界の祝宴でシャンパーニュが好まれるようになったのは、ウィーン会議以降のことであり、この会議の一番の勝者はシャンパーニュだった。
ちなみに、F1の表彰台で行われるシャンパンファイトは、ナポレオンが戦勝記念にシャンパーニュかけを行ったのが起源とされている。
ブドウ品種で異なる味わい
シャンパーニュをつくるために認可されているブドウ品種は7種類。中でもシャルドネ、ピノ・ノワール、ピノ・ムニエの3品種をブレンドするのが基本となっており、ブレンド割合を「セパージュ」と呼ぶ。単一ブドウ品種でつくるシャンパーニュもあり、白ブドウ(シャルドネ)のみでつくられるのが「ブラン・ド・ブラン」、黒ブドウ(ピノ・ノワールとピノ・ムニエ)のみでつくられるものを「ブラン・ド・ノワール」と呼ぶ。また、黒ブドウの皮を漬け込むことでピンク色を出すロゼ・シャンパーニュもある。
さらに、ブドウ品種だけでなく収穫年にこだわるのもシャンパーニュならでは。収穫年をベースに、必要に応じて以前につくったリザーヴワインをブレンドし、味わいを均一に保つのがノンヴィンテージ(NV)、特に良質なブドウが収穫できた年の年数をラベルに表記したものはヴィンテージ、あるいはミレジメと表記される。プレステージはつくり手が威信をかけて少量生産する高級品。明確な規定はないが、優良年に最高区画のブドウだけを用い、5年以上の熟成を経て出荷されることが多い。
シャンパーニュにはドザージュによる糖分の量(残糖)により、エクストラ・ブリュット(極々辛口)からドゥ(甘口)まで6段階の種類がある。料理に合わせるならどんな選び方をすればよいのか?日本事務局の笹本さんがヒントをくれた。
「お鮨なら、鉄分の多い赤身のネタには黒ブドウ主体のものや、黒ブドウのみを使用したブラン・ド・ノワールなどがよく合います。シャリはお米自体に甘さがあり、お酢にも糖分が僅かに感じられますので、若干糖度の高いエクストラ・ブリュットが合います。お塩でいただく天ぷらには辛口、すき焼きにはロゼなど、典型的な日本料理にもさまざまな合わせ方・楽しみ方ができます」
修道院で生まれ、フランス宮廷で流行し、やがて多くの人びとに愛されるようになったシャンパーニュは、歴史の物語があるからこそ、多くの貴人や文化人、著名人を魅了してきた。ナポレオンが愛飲したモエ・エ・シャンドン、英国元首相チャーチルが愛したポル・ロジェ、マリリン・モンローが毎朝飲んだパイパー・エドシック、歴代のジェームズ・ボンドが好んだドン・ペリニヨンなど、セレブを魅了した高級メゾンの逸話は数多くある。また、近年ではブドウ栽培から醸造まで自社で一貫して行うレコルタンマニピュランが、世界的に注目されている。
笹本さんはこう語ってくれた。
「レクサスオーナーは、上質なものを知っている本物志向の大人であり、表面上の煌びやかさではなく、背景にある確固たるものにリスペクトを置かれている方々だと思います。だからこそ、シャンパーニュの歴史的背景、厳しい製造工程による品質管理などを鑑みると、レクサスオーナーに、より身近に感じていただけるのではないでしょうか」
Access to moment DIGITAL moment DIGITAL へのアクセス
認証後のMYページから、デジタルブック全文や、
レクサスカード会員さま限定コンテンツをご覧いただけます。
マイページ認証はこちら※本サービスのご利用は、個人カード会員さまとなります。
ログイン後、moment DIGITALのリンクまたはバナーをクリックください。
※バナーイメージ