Bushido spirit
混沌とした現代を生き抜くために
いまこそ知りたい“武士道”
日本で1000年にわたって政治の中枢を担い、時代ごとに数々の傑人を輩出した武士。その精神や規範となる「武士道」は、ここ数年ビジネス界でも注目を集めています。そこで今回、世界的ベストセラーであり、各国のトップリーダーや著名人が愛読を公言している新渡戸稲造の『武士道』をひも解き、先行き不安な現代社会の未来への指標やチームマネジメントの本質にも通じる普遍的な教えを紹介します。
“生の美学”を追究した「武士道」の名著
“武士道といふは、死ぬ事と見付けたり”
一般的に「武士道」と聞いて思い浮かぶこの有名な言葉が記された『葉隠(はがくれ)』は、佐賀藩二代目藩主・鍋島光茂の側近である山本常朝(つねとも)の言葉を、田代陣基(つらもと)が聞き書きして編纂した書です。時は徳川八代目将軍・吉宗が統治する江戸時代中期。幕藩体制が強固に整備された泰平の世に戦場などはなく、その当時、武士の仕事場であった城中で藩主に仕える者の心構えとして佐賀藩の歴史などとともに記されました。
その中で冒頭の言葉は、生への執着を捨て主君と名誉のために勇猛果敢に戦い、潔く散る武士の“死にざま”を説いたという解釈がまかり通っていますが、実際には異なります。
この言葉が記された項は、次の末文で締められています。
“毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果たすべきなり。”
「毎朝毎夕、改めては死に死に」とは、実際の死ではなく「死んだ気になる」こと。それが「常住死身」であり、いつ死んでも悔いのないように覚悟をもって生きることで自由が訪れ、越度(落ち度)なく職務を遂行することができる、と“生の美学”を追究した言葉なのです。
『武士道』は日本初の“日本文化論”だった
そして、世界的に「武士道」という言葉を普及させたのは、旧五千円札の肖像画で知られている思想家・新渡戸稲造です。1900年、アメリカのリーズ・アンド・ビッドル社から出版された『BUSHIDO THE SOUL of JAPAN』(以下『武士道』)は、列強諸国に向けて日本にも比肩できる文化哲学があることを発信した日本人論。ヨーロッパ諸国だけでなくアジア圏まで50カ国以上で翻訳されたともいわれ、セオドア・ルーズベルト元大統領やジョン・F・ケネディ元大統領、李登輝元中華民国総統など、時代をつくったリーダーたちが愛読し、120年以上経った今もなお読み継がれているベストセラーです。
新渡戸稲造が『武士道』を書くことになったのは、ある問いかけがきっかけでした。岩手県盛岡市で生まれた彼は、札幌農学校を卒業後、「我、太平洋の架け橋とならん」と東京帝国大学(現・東京大学)に入学し、日本と世界の思想の橋渡しを志していました。その後、東京帝国大学を中退し、アメリカやドイツに留学。その頃、ベルギーの高名な法学者、ド・ラブレー教授の家に招かれた時、宗教の話から「日本の学校では宗教教育がないのですか?」と問いかけられた。
“そうですと答えると、教授は驚いて足を止め、容易には忘れがたい口調で「宗教がない。道徳教育はどうやって授けられるのですか」と繰り返した。
その時、この質問は私をびっくりさせた。そして即答できなかった。(中略)私は、自分の聖邪善悪の観念をかたちづくる様々な要素を分析してみて、それらの観念を私に吹き込んだのは「武士道」であったとようやく気づいた”(序文) ※中略は筆者による
さらに、アメリカ人の妻から「なぜ日本では武士道の思想や習慣が一般的なのか」とことあるごとに問われていたことで『武士道』を書くことを決意したと記しています。当時、日本は日清戦争に勝利し列強の仲間入りをしようとしていた時期。欧米人からは切腹などの慣習から「東洋の好戦的で野蛮な未開の国」というイメージを持たれていました。『武士道』は、日本人の道徳意識や思考方法の紹介だけでなく、その誤解を解く日本初の“日本文化論”だったのです。
「武士道」とは高貴な戦士が守るべき掟
そもそも武士は、律令制が崩壊した後、9世紀末頃から地方の治安が悪化し、豪族や有力農民が自衛のために武装したことが起源とされています。12世紀には源氏が鎌倉幕府を開き、武家が天下を支配。武士は武力を介してあるじに仕えるという主従関係が成立しました。そして、長い戦乱の世を経て、17世紀に江戸幕府がはじまると、泰平の世において、武士は政治のリーダーとして役割を担うことになりました。
そういった時代の変遷において、新渡戸は「武士道」を次のように定義しました。
“戦う騎士の道、──すなわち戦士が、その職業や日常生活において守るべき道を意味する。ひと言でいえば「戦士の掟」、ノブレス・オブリージュ noblesse oblige(高貴な身分に伴う義務)のことである”(第1章)
そして、それは文字に書かれた掟ではなく、口伝によって受け継がれ、数十年、数百年におよぶ武士たちの生き方から自然に発達してきたものだと述べています。つまり「武士道」は、1000年以上にわたって時のリーダーや、組織を率いるトップの中で醸成され、進化しながら受け継がれてきた行動規範のこと。そのルーツには儒教、仏教、神道があると記しています。
6世紀に大陸から伝わった仏教から、運命を信頼し、避けられない事柄を静かに受け入れる心。日本固有の信仰である神道の、主君に対する忠義や祖先への崇拝、親への孝心という忠誠心。そして「武士道」に最も大きな影響を与えたと述べているのが、古代中国の哲学者、孔子の思想に基づく儒教です。
その中でも、人は仁、義、礼、智、信、からなる「五常」の徳目を守ることで「五倫」と呼ばれる父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の関係を維持するよう努めなければならないという「五倫五常」の倫理観や、「考えること(知)と行動すること(行)は一体であり、本当の知は実践を伴わなければならない」と説いた王陽明の「知行合一」などの考えに立脚しています。
傑人に必要不可欠な7つの徳とは――
長きにわたる戦乱を生き抜いた武士たちの高潔で崇高な精神と行動原理を新渡戸稲造が理論的、そして体系的にまとめた『武士道』。その内容は、時代や国境を越えて、多くの人の心に響くものであり、いまも日本人のものの考え方に多大な影響を与え続けています。その中で紹介されている7つの徳目
――「義」、「勇」、「仁」、「礼」、「誠」、「名誉」、「忠義」は、武士にとって必要不可欠な価値。
それは日々、激動のビジネス界で時代と対峙し、集団を率いながら高みを目指すマネジメント層やエグゼクティブにも響くものであり、豊かなライフスタイルにもつながるもの。その美学をひも解いていきましょう。
●サムライの基本となる必要条件「義」「勇」
武士の掟の中で最も厳しい徳とされていたのが「義」です。すなわち正義の道理のこと。武士にとって卑劣な行動や不正な振る舞いほど忌まわしいものはないとされていました。泰平の世になり、戦乱などはるか昔の時代になっても「義士」=優れた人とされ、学者や武術の達人といったどんな称号よりも高位の呼び名でした。
その価値観は、狡猾な策謀がまかり通っていた戦国時代でも重宝されました。覇権を争った武田信玄と上杉謙信に「義」にまつわるこんなエピソードがあります。
1567年、武田信玄と対立していた今川氏真(うじざね)は、武田領内へ商人が往来する道を断ち、塩止めを行いました。海のない甲斐国では言わずもがなの死活問題。武士だけでなく領民たちも苦しんでいるところ、宿敵だった上杉謙信から手紙が届きました。
「私が信玄殿と戦っているのは弓矢の上であって、米や塩で戦っているわけではない。今後、塩が必要なら我が国から供給しよう」
その手紙とともに添えられていたのは塩。
“敵に塩を送る”ということわざは、この逸話が元になったといわれています。
打算や損得を超越し、卑劣な行為をせず、己が正しいと信じた道を貫く行動力は義の精神から生み出されるのです。
その義を貫くために必要なのが「勇」、つまり勇気です。ただ、それは猪突猛進に危険を冒し、一命を投げ出して死の淵に臨むことではありません。
“戦場のなかに駆け入って討ち死にすることは、たいへん簡単なことで、とるに足らない身分の者にでもできる。生きるべき時に生き、死ぬべき時に死ぬことを、本当の勇気というのだ”(山本博文翻訳『現代語訳 武士道』)
つまり、ここぞという時を見極める力。それに加え、真の「勇」を持つ者は、どんな窮地に陥っても平常心を保ち、大義のために大胆な行動が実行できる。それは、社内のドラスティックな改革や、社運を懸けた一大プロジェクトといったビジネスの局面にも通じるもの。かの孔子も『論語』で、「義をみてせざるは勇なきなり」、すなわち「正しいとわかっていながら行動を起こさないのは勇気がないからだ」と「勇」と「義」が不可分なことを断言しています。
●リーダーには欠かせない「仁」、「礼」、「誠」
「仁」とは、端的に言えば「人としての思いやり」です。
孔子と孟子は「あらゆる徳の中で、天下を治める者が必ず持たねばならない不可欠な条件」として「仁」を説き、その思想に共感していたからこそ武士は圧倒的な武力と「武士の情け」である慈愛が共存していました。それはただ優しいだけではありません。「仁」は、弱者や敗者、虐げられた者、弱い人々を思いやることのできる人だけに備わった王者の徳なのです。
その「仁」の精神を育て、他者の気持ちを尊重することから生まれる謙虚な心の表出が「礼」です。新渡戸はこう説いています。
“本当の礼とは、他人の気持ちを思いやる心のあらわれだからだ。礼は、また物の道理を正しく尊重すること、それゆえ社会的地位に対し、相応の敬意を払うことを意味する”(山本博文翻訳『現代語訳 武士道』)
ただ形式だけの礼儀作法を守るのではなく、相手を尊重し、謙虚さや丁寧さを持ちながら言葉や行動で表すことで、他者の喜びや悲しみを自分のことのように感じる共感力が養われます。
そして「誠」とは、その文字の通り「言」ったことを「成」すこと。
「武士の一言」は真実と同義とされ、約束は証文なしに取り決められていました。
また、「武士に二言はない」という言葉が表すように、二枚舌は決して許される行為ではなく、武士の約束は命よりも重いとされていました。ただ、「誠」=本当のことではなく、時に相手に対して礼を失することのないための嘘は「誠」の徳に背くことではない、と新渡戸は記しています。
●「名誉」を目指し、本物の「忠義」を尽くす
「名誉」は最上位に置かれる徳目で、武士が最も求めた価値。武士階級の義務と特権を重んじるように幼少の頃から教え込まれた侍の特色をなすもので、対極にある「恥」の感覚を覚えることで養われるとされています。
孟子の「羞悪の心は義の端(はじまり)なり」、イギリスの歴史家、トーマス・カーライルの「恥はすべての徳、善き風儀ならびに善き道徳の土壌である」という言葉の通り、恥を知る心はすべての道徳意識の出発点であり、武士の「名誉」とは、自分に恥じない高潔な生き方を貫くことでした。
そして「忠義」は、武士の封建社会ならではの徳目であり、最も特色を表しています。ひと言でいえば主君に対する絶対的な服従のこと。ただそれは、「武士道」における名誉の規範においてのみであり、主君に奴隷として魂を売り渡すものではありません。主君の酔狂や妄念邪想に媚びへつらい、機嫌を取る者は軽蔑されました。たとえ自分が忠誠を尽くす主君であろうとも、間違ったことには命を懸けてでも進言する者が本物の「忠義」です。これはビジネスにおけるチームマネジメントにもいえること。意見が分かれても諫め、道を正す者に「武士道」の精神が備わっているのです。
自己を磨き後進を育て、ネクストステージを目指す時、そして人生の大事な局面を乗り越えるために、「武士道」の教えを取り入れてみてはいかがでしょうか。
【参考文献】
『現代語訳 武士道』山本博文翻訳(2010、筑摩書房)
『武士道』岬龍一郎翻訳(2005、PHP研究所)
『Discover Japan 人生に効く「武士道」入門。』(2013、ディスカバー・ジャパン)
『新校訂 全訳注 葉隠』菅野覚明 他(2017、講談社)
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