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愛犬と社会貢献。動物のぬくもりが、人に変化をもたらすアニマルセラピーの現場を取材

愛犬と高齢者施設や病院を訪れ、動物のぬくもりを届ける「アニマルセラピー」というボランティアをご存じだろうか。犬を膝にのせたり、そっと撫でてもらったりする――そんなごく短いふれあいが、利用者の表情を緩ませ、記憶の奥に眠る感情を呼び起こすことがある。活動を支えているのは、家庭でくらす動物とその飼い主たち。愛犬とともに地域の人びととつながるこの活動の現場は、どのような雰囲気なのか。その一日を取材した。

Text:Mio Amari
Photo:Ikuo Kubota
Edit:Misa Yamaji(B.EAT)

愛犬と社会貢献する現場とは

広義に「アニマルセラピー」と呼ばれる活動のひとつ「CAPP(Companion Animal Partnership Program)」は、日本動物病院協会(JAHA)が1986年に始めた“人と動物のふれあい活動”である。

犬や猫、ウサギなど家庭でくらす動物たちが施設を訪れ、その体温や息づかいに触れることで笑顔や会話が生まれる。CAPPとは、そうした変化をあと押しするための取り組みだ。

参加する動物はすべて家庭でくらすペット。飼い主がボランティアとしてともに現場にたつ。動物の性格や体調をもっともよく知る“家族”がそばにいることが、無理のない関わりを支える土台になる。

ボランティアである飼い主とともに入場するトイプードルのララくん(4歳)。

この日、東京都杉並区にある介護老人保健施設『シーダ・ウォーク』は静けさに包まれていた。とある一室で、利用者が椅子に腰掛け、職員とともに開始の時を待っている。一方、廊下の奥には、セラピードッグを連れたボランティアが、呼び込みの合図を静かに待っていた。

利用者は23名。対してボランティアは10名、犬は6匹。二十数年にわたって活動に携わる者もいる。

時間になると、まず自己紹介が始まった。飼い主が犬の名前や年齢、性格を簡潔に伝える。この短い紹介が、利用者と犬の間に最初の接点をつくり、信頼関係への一歩となるのだ。

家庭の犬が“社会の一員”になる瞬間

続いて、犬とのふれあいだ。飼い主が犬を抱き上げ、利用者の膝の上にそっとのせていく。

利用者の膝にのるのをおとなしく待つトイプードルのエイミーちゃん(10歳)。

最初のうち、利用者はおそるおそる手を伸ばしていた。だが、そのうちに「あたたかい」「体温があるっていいね」という声が広がっていく。触れたあとの表情には、わずかな変化が訪れた。長く触れていなかった感覚が戻り、それが記憶につながることもある。「子どもの頃、犬を飼っていたことを思い出した」と話す利用者もいた。

ここに参加している犬は、すべて家庭でくらす動物であり、協会が所有する犬ではない。「人より体温の高い犬に触れて、安心される方が多い」とは、この日のボランティアチームのリーダー・滝村昌世さん。日常の性格や体調を把握する飼い主がそばにいることで、犬に無理をさせずに活動に加わることができる。

ふれあいが成立するまでの見えない準備

ふれあいの場の裏側には、準備が積み重ねられている。滝村昌世さんによれば、前日に犬のシャンプーや爪切り、歯磨きを済ませ、当日は水やトイレ用品、リード、マット、名札などを整えて会場に向かうという。犬が清潔であること、落ち着いた状態であることが、この活動の前提だ。「建物に入る前に排泄を済ませ、状態を整えてから入ります。不快なままだと、ふれあいに影響が出ます」(滝村さん)。

トイプードルのメロディーちゃん(3歳)。前日のシャンプーで、ふわふわの毛並み。

JAHAは安全管理を最優先におき、動物同士の距離、リードの保持、過度な接触を避ける判断を徹底している。特別な技術はいらない。確実な準備の積み重ねこそが活動を支える基盤になる。その一つひとつが、現場の信頼をつくっている。

シェルティの永遠(とわ)ちゃん(4歳)。ふれあいの前に控室で健康チェックを受ける。

動物との接触は人にどんな変化をもたらすのか

一回目のふれあい後、犬たちがジャンプやダンスなど“一芸”を披露した。続くカードゲームでは、利用者が引いた「まて」「ふせ」「おて」の札に合わせ、6匹の犬が一斉にポーズ。その利口な様子に利用者が感心し、表情に微笑みが見られた。

「おて」を披露するチワワのメグちゃん(7歳)。

JAHAの調査によると、犬とふれあうことで高齢者の83.3%でオキシトシンが増加し、コルチゾールが減少するという。オキシトシンは“心を落ち着かせるホルモン”として知られ、一方のコルチゾールはストレス時に分泌される物質だ。その低下は、負荷の軽減を示す。犬側の93.3%でもオキシトシンの増加が確認され、人と動物の双方に無理のない関わりであることが数字からも読み取れる。

滝村昌世さんの愛犬にも変化があった。「最初は緊張していましたが、回を重ねると落ち着き、今では活動に出かける日は自分からキャリーバッグに入るようになりました」。活動の流れや環境を理解し、負荷の少ない状態で参加できるようになるまでの過程が、行動の安定として表れていた。

活動を続けるために必要なこと

現場では、動物の状態を見極める判断がもっとも重視される。「犬が『今日は難しい』という状態なら、参加させません」と滝村昌世さん。犬の疲労やストレスを避ける判断が、活動全体の質を左右する。

活動前、セラピードッグは控室でリラックスして待機。

この活動に参加を希望する場合、まず講習会で基本的な考え方を学び、人だけで見学を行う。自分と自分の犬が活動に適しているかを確認したうえで、犬を連れての見学に進む。非日常の環境に慣れる段階を経て、基準チェックテストに合格すれば、少しずつ活動に加わる仕組みだ。特別な訓練を課すわけではない。家庭でのくらし方や性格が、そのまま現場の力になる。

JAHAは動物福祉を基盤に据え、無理のない参加を最優先に判断している。健康管理、参加回数の調整、負荷の軽減――いずれも活動を継続するための最低条件だ。

活動の終盤、再び犬が利用者の膝にのせられた。先ほどよりも自然に手が伸び、触れた指先の動きに迷いがない。短い時間でも、接触が人に与える変化が確かに存在することを示していた。

膝の上で利用者にからだをあずけるトイプードルのイッチャン(ごいいちゃん/6歳)。

家庭でくらす動物が、地域の中で誰かの時間を支える役割を担う。特別な訓練ではなく、日常そのものが力になる構造だ。

継続の鍵を握るのは、静かな支援。寄付や会費は動物のケア、備品の更新、安全管理のための講習会などに充てられ、現場の安定を支えている。人と動物の関わりがもたらす小さな変化。その積み重ねを守る仕組みを維持できるかどうかが、これからの地域に求められている。

筆者自身も犬とくらし、高齢の親を支える立場にある。取材の最中、犬に触れた利用者の表情の変化を目の当たりにし、体温というごく日常的な“ぬくもり”が人の心を支えることをあらためて実感した。家庭の中で感じてきたその手応えが、地域の現場でも確かに機能している――その事実に背中を押される取材でもあった。

この日のセラピードッグたち。前列・右から2人目がチームリーダーの滝村昌世さん。

人と動物のふれあい活動(CAPP)についてのお問い合わせはこちら

CAPPボランティア事務局(日本動物病院協会 事務局内)
住所:東京都中央区日本橋本石町3-2-7 常盤ビル 7階
電話番号:03-6262-5770(土日祝日を除く13時~17時)

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