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ワイン愛好家垂涎の銘醸
世界中のワインラバーが憧れる「ボルドー五大シャトー」とは

シャトー・ラフィット・ロートシルト、シャトー・マルゴー、シャトー・ラトゥール、シャトー・オー・ブリオン、シャトー・ムートン・ロートシルト。これら5つのワインは「ボルドー五大シャトー」と呼ばれ、非常に高価でありながら、多くのワイン愛好家たちにとっての垂涎の的として知られている。ボルドー・ワインが格付けされるようになった歴史や背景と、そのトップに君臨する五大シャトーの魅力に迫る。

Text:Kiyoshi Shimizu(lefthands)

すべてはナポレオン3世の「戦略」から始まった

ワインの銘醸地であるメドック(Médoc)はボルドーにあるジロンド川の下流、左岸に位置し、一般的にボルドーの「左岸」として紹介される。

ボルドー・ワインを世界に知らしめるための格付け制度

フランス南西部、大西洋の近くに位置するボルドーは、ワインの世界的な銘醸地であり、ワインの聖地とも呼ばれている。中でも、ボルドーを横切るように流れるジロンド川の左岸に位置するメドックは、ラベルに地区名を表記できる村もあるような特別な名産地として知られていたが、その名声をさらに高めたのが、1855年に制定された「格付け制度」だった。

ジロンド川左岸のメドック地区に広がるブドウ畑。カベルネ・ソーヴィニヨンを中心に、メルロー、カベルネ・フラン、ソーヴィニヨン・ブラン、セミヨンなどが栽培されている。

この年に開催されたのが、パリ万国博覧会。フランスの至宝としてのボルドー・ワインを展示することが決まり、ナポレオン3世の命を受け、メドックのワインを1級から5級の間で格付けすることとなる。格付けによって、ボルドー・ワインの名声を世界にさらに広められると目されたからだ。

格付けは、当時すでに確立されていた生産者の名声とワインの取引価格を考慮して、ボルドーの商工会議所と仲買人(クルティエ)が実施。6,500軒(*諸説あり)を超えるメドックのシャトーから約60を厳選し、1級から5級の間で格付けを行った。対象となったシャトーはメドック全体の1%(*諸説あり)にも満たないため、たとえ5級でも名誉なことであった。

審査の結果、1級にはメドック地区からシャトー・ラフィット・ロートシルト、シャトー・ラトゥール、シャトー・マルゴーの3つのシャトーが、そして当時、すでに名声の高かったシャトー・オー・ブリオンのみがグラーヴ地区から選出される。6,500軒(*諸説あり)を超えるシャトーの中で、最上級の格付けを与えられたのは4つの銘柄のみということで、ボルドー・ワインの中でも特別な存在となり、のちの価格の高騰にもかかわらず、多くのワイン愛好家たちにとっての垂涎の的に。

1855年に制定された格付けは、長い間変更されることがなかったが、1973年にシャトー・ムートン・ロートシルトが2級から1級に格上げされることに。以降、シャトー・ムートン・ロートシルトを加えた「ボルドー五大シャトー」という呼称が、高級ワインの代名詞として語られるようになっていく。

とはいえ、パリ万博から150年以上が過ぎた今、ブドウの栽培方法や醸造技術、人びとの嗜好も大きく変化しているので、格付けはすでに時代遅れのものであり、現在のワインの品質を的確に評価するものではないと主張する評論家も。叶うものならば、1級から5級まで実際に飲んで、自分なりの格付けをしてみるというのも、贅沢にして価値のあるワインの楽しみ方かもしれない。

ここからは、「ボルドー五大シャトー」の各銘柄について紹介していこう。

五大シャトーの筆頭であり、ワインの王
シャトー・ラフィット・ロートシルト

メドック地区ポイヤック村の北端にあるシャトー。©MaT-WiKi1

メドック格付け時にはもっとも高額で取り引きされていて、1級の筆頭に挙げられたのが、シャトー・ラフィット・ロートシルトだった。ヴェルサイユ宮殿では国賓に振る舞われ、ルイ15世が愛飲していたことから「ワインの王、王のワイン」と称されていた。ルイ15世に仕えたリシュリュー公爵は、シャトー・ラフィットを「オリンポスの神々が愛でた不老長寿の薬」と讃え、王の公妾、デュ・バリー夫人はシャトー・ラフィット以外のワインを食卓に並べなかったという。フランス革命後は所有者がたびたび変わったが、1868年にロートシルト財閥の五男でフランス分家のジェームズ・ロートシルト男爵がオーナーとなって以来、シャトーの栄光はロートシルト家によって守りつづけられている。

一般的には1982年、1986年、1996年、2000年、2003年、2005年、2009年、2010年、2016年、2018年、2019年が当たり年といわれている。シャトー・ラフィットの畑で収穫されるブドウのうち、ファーストに使用されるのは約3割に過ぎず、その残りからさらに厳選してつくられる贅沢なセカンドラベルが「カリュアド・ド・ラフィット」となっている。

メドックでも最上とされる石灰質の土壌が、気品あふれるラフィットを生む。
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官能的な香りに酔う「ボルドーの女王」
シャトー・マルゴー

作家のヘミングウェイは、マルゴーのシャトーにしばしば滞在したという。

ボルドー・ワインの格付けが行われた1855年のブラインドテイスティング評価で、唯一満点を獲得したのがシャトー・マルゴーだった。香り高く、抜栓直後でも官能的で複雑な香りが広がり、また、きめ細かいタンニンに裏付けられる洗練されたエレガントさが特徴で、「ボルドーの女王」とも呼ばれている。各国の大統領や首相、文豪などの偉人に愛されたワインとしても知られており、作家のアーネスト・ヘミングウェイはシャトー・マルゴーを愛するあまり、孫娘をマーゴ(マルゴーの英語読み)と名付けた。日本では渡辺淳一の小説『失楽園』で、死を目前にした男女が最後に飲んだワインとしても有名になる。

シャトー・マルゴーは一時期、経営難に陥り、アメリカの大手企業が買収を試みたこともあったが、フランス政府がこれを阻止。国の至宝を外国資本に渡すことを許さなかったとして、話題を集める。その後、実業家のアンドレ・メンツェロプロス氏の所有となると、セカンドラベルの導入やブドウ畑の再編、醸造設備への投資など、さまざまな改革を行い、品質を回復させることでかつての栄光を取り戻していく。

シャトー・マルゴーを含むボルドーの五大シャトーに外れ年はないが、当たり年はあるといわれている。シャトー・マルゴーは2000年代に当たり年が多く、中でも2000年、2005年、2009年、2015年は特に高評価を付けている。セカンドラベルとしての「パヴィヨン・ルージュ・デュ・シャトー・マルゴー」、ソーヴィニヨン・ブラン100%でつくられる白ワイン「パヴィヨン・ブラン・デュ・シャトー・マルゴー」も人気が高い。

名前は生産地、マルゴー村に由来する。
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時代の一歩先を行く、優れた先見性
シャトー・ラトゥール

シャトー・ラトゥールへとつづく広大なブドウ畑の景色。

シャトー・ラトゥールは、14世紀の古文書にその名が記録されるほどの長い歴史を持つ。シャトー名の由来となり、エチケットにも描かれているラ・トゥール(塔)は、この地を監視する防衛塔として14世紀中頃に建設されたものだ。五大シャトーの中でもとりわけ濃厚で芳醇なワインで、タンニンが豊富なため、長期熟成に向いているのが特徴。条件が揃えば、50年以上熟成できるという。セカンドにあたる「レ・フォール・ド・ラトゥール」も、五大シャトーとしての風格をはっきりと感じさせてくれる。

シャトーは1993年に、実業家であるフランソワ・ピノー氏が買収し、醸造蔵、熟成庫、ストックスペースの全改築を行うなど、さまざまな改革を実施。2009年には、有機農法(ビオディナミ)を1級シャトーとして最初に実践し、2015年からは所有畑全体をオーガニックに転換。さらに、2012年ヴィンテージ以降は、ボルドーの多くの一流シャトーが行っている先物取引方式(プリムール)から脱退し、飲み頃を迎えたワインのみを販売している。一般的には1982年、1990年、1995年、2000年、2005年、2009年、2010年、2015年のヴィンテージが当たり年として評されている。

世界でもっとも凝縮感のあるフルボディのワインのひとつといわれている。
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独特のセパージュから生まれる唯一無二の個性
シャトー・オー・ブリオン

シャトーは街中にほど近い場所にある。©BillBl, CC BY 2.0

1814年、ナポレオン戦争後に開催された「ウィーン会議」で、敗戦国フランスの外相タレーランは連日連夜、各国代表に豪華な料理とシャトー・オー・ブリオンを振る舞った。これによって各国代表も態度を軟化させ、フランスは領土をほとんど失うことなく乗り切ることに成功。このタレーランの美食外交により、シャトー・オー・ブリオンの名声は瞬く間にヨーロッパ全土に広まることに。1855年のパリ万博にて、シャトー・オー・ブリオンがメドック地区外のグラーヴ地区から唯一、1級に格付けされたのも、当然のことなのかもしれない。

1533年(*1550年の説もあり)に創設されたシャトー・オー・ブリオンは、常にワインの歴史に革命を起こしてきた。樽の底に溜まった酵母などの澱と上澄みのワインを分ける「スーティラージュ」や、樽熟成中に目減りしたワインを補う「ウイヤージュ」などの手法を世界で最初に導入したのも、シャトー・オー・ブリオンだった。1961年には、ほかのシャトーに先駆けてステンレスタンクを導入している。また、ブドウ品種の比率(セパージュ)にも特徴があり、ほかの5大シャトーと比較すると、カベルネ・ソーヴィニヨンとメルローの割合がほぼ同等であり、ヴィンテージによってはメルローの割合が高くなることも。有名なワイン評論家のロバート・パーカー氏が「世界でもっともエレガントで、アロマの複雑なワイン」と讃えるシャトー・オー・ブリオンの個性は、この絶妙なセパージュから生まれている。

近年では2005年、2009年、2015年、2016年、2018年などが当たり年といわれ、パーカー氏が100点満点を付けたヴィンテージも。セカンドラベルの「ル・クラレンス・ド・オー・ブリオン」のほか、3ヘクタールにも満たない小さな畑でつくられる稀少な辛口白ワイン「シャトー・オー・ブリオン・ブラン」も生産している。

シャトー・オー・ブリオンは、グラーヴ地区で突出した品質のワインを生産している。
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ロートシルト家の誇りと執念が格付けを覆す
シャトー・ムートン・ロートシルト

メドックのポイヤック村にあるシャトー・ムートン・ロートシルト。ブドウ畑では、質の高いカベルネ・ソーヴィニヨンが育つ。©Jack Ma

ロートシルトのイギリス分家がシャトー・ムートンを買収したのは、1853年のこと。当時から有名なワインだったので、2年後に開催された格付けでは誰もが1級を取ると思っていたが、結果は2級に。その理由についてはさまざまな憶測が飛び交ったが、新参の金融業者に対する反感があったのではないかと伝えられている。

ロートシルト家がこの結果に納得する訳はなく、「われ1位たり得ず、されど2位たることを潔しとせず、われムートンなり」を家訓に努力を重ねることに。特に1922年、20歳の若さでシャトーの運営に携わるようになったフィリップ・ド・ロートシルト男爵は、多くの改革を断行。まず、品質の向上や作業の効率化を図るために技術委員会を設立して、従業員たちと積極的に意見交換する場を設ける。また、ワインを樽ごと酒商(ネゴシアン)に預けて、熟成から瓶詰めまでを任せるという従来の慣行をやめ、自ら瓶詰めを行って品質管理を徹底させる。今では一般的になったシャトー元詰めは、彼が先駆者だったのだ。

毎年、現代アーティストの作品でラベルを飾り、ワインと芸術を結びつけたのも彼のアイデア。半世紀にもおよぶ努力の結果、シャトー・ムートン・ロートシルトは1973年、1級に格上げされた。これは格付け制度で唯一の例外となっている。この時、フィリップは「われ1級になりぬ、かつて2級なりき、されどムートンは昔も今も変わらず」という名言を残している。ちなみに、1973年のラベルを飾ったのはパブロ・ピカソの絵であった。

近年の当たり年としては1982年、1986年、2016年、2020年がパーカーポイントで100点満点を獲得している。ほかに「ル・プティ・ムートン・ド・ムートン・ロートシルト」というセカンドラベルがあるが、若樹のブドウをメインに仕込まれること以外、醸造工程の多くがファーストラベルと同様の手法で行われていて、多くのヴィンテージが30,000円代後半〜で入手可能とあり、高い人気となっている。

毎年、世界的アーティストが描くラベルでも知られ、2021年は日本の現代美術家の塩田千春氏が担当した。
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ここまでご紹介してきた「ボルドー五大シャトー」。人生の節目を飾る特別な祝いの席などで栓を開けることができたら、きっとかけがえのない思い出となることだろう。そこで、これからの人生で5本の名ワインを開けるべき5つの祝うべきできごとを考えてみてはどうだろう。人生に、新たな目標と楽しみができるに違いない。

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