
日々のくらしに輝ける瞬間(moment)を与えてくれるモノやコト
世界が注目する日本の独立時計師
浅岡肇氏、菊野昌宏氏、牧原大造氏
本物と呼ばれるモノやコトに触れて、心が震えたり、エネルギーやインスピレーションを得たように感じた経験は、誰もが持っているはず。ここでは、私たちの日常に輝ける瞬間(moment)を与えてくれるプレシャスなモノやコトを、その背景に潜む伝統や、そこに精魂を傾けてきた人びとのストーリーとともに紹介していく。
近年、世界中のコレクターや専門家の間で高い評価を受けている日本の独立時計師たち。彼らは設計から製作まで自らすべてを手がけ、独創的な発想と卓越した技術で、唯一無二の作品を生む。精緻な職人技と革新を融合する独立時計師とは?
Text:Mari Maeda(lefthands)

とにかく自分の理想を形にしたかった。
自分で作らなければ、自分の理想は実現しない
なぜ独立時計師は特別なのか?
独立時計師とは、ブランドやメーカーに属さず、時計の設計から製作までを自らの手で行う時計師のこと。
一般的に時計製作は分業化されているが、彼らはムーブメントの設計・製作、組み立て、仕上げに至るまで独自の哲学と技術を一貫して注ぎ込む。大量生産とは無縁で、既存の枠にとらわれることなく、革新的技術や唯一無二の独創性から生まれる作品は、時を計る道具であることを超えて、持つ者の感性に響く芸術品としての価値をも持つ。
1985年に設立されたスイスの独立時計師アカデミー(AHCI)は、そうした独立時計師の最高峰とされる団体だ。時計産業の中心地であるスイスで、企業に依存せず独自のスタイルと技術を追求する時計師を支援し、その価値を広めることを目指す。加盟には厳格な審査があり、完全なオリジナリティと技術力を備えた時計を製作することが必須。現在、世界で36名が正会員として認められ、日本からは浅岡肇、菊野昌宏、牧原大造の3名が名を連ねる。今回そのうちのひとり、浅岡氏の工房を訪ねた。
すべてを自ら作る浅岡肇氏の挑戦
東京藝術大学卒業後、プロダクトデザイナーとしてキャリアを積んだ浅岡氏は、時計に関わる仕事を重ねながらもどかしさを覚え、「自分が納得できる時計を自ら作ること」を決意。日本初となるトゥールビヨンを完成させた。トゥールビヨンとは、重力による精度の狂いを補正する世界三大複雑機構のひとつ。この最高難度の機構を独学で作り上げ、見事な精度と美しさを両立させたことは、時計業界を驚嘆させた。もともと工作が得意だったというが、浅岡氏がSNSで公開した製作過程は国内外で大きな注目を集め、2015年にはAHCIの正会員に認定された。
浅岡氏の時計づくりの特徴は、自らのデザインの忠実な再現性と、細部まで妥協しない徹底したこだわりだ。現在AHCIに所属する時計師の中でも、すべて独自のパーツでムーブメントを製作する者はごく少数。浅岡氏はその数少ない時計師のひとりで、既存のパーツは一切使用せず、究極の加工精度を求めて工具や機械までをも独自に開発。「理想の形を実現するためには、自らの手で作るしかない」という信念が、彼の時計をより特別なものにする。
浅岡氏は今日、「世界最高水準にある日本の精密加工技術の価値を正しく伝えること」をミッションに掲げる。スイスの時計職人が高く評価されるように、日本のものづくりも価格競争に巻き込まれることなく、適切なブランディングによって世界に通用することを体現している。
精緻な技術と個々の独創性を融合し、世界中の時計コレクターを魅了する日本の独立時計師たち。彼らが紡ぐ時の芸術は、日本のものづくりの可能性を未来へとつなぐ。



独立時計師アカデミーに所属するあと二人の日本人独立時計師
独自の技と美意識が宿る唯一無二の時計を生み出し、世界のコレクターを魅了してやまない彼らの作品は、時を刻む道具の域を超えた美と技の結晶である。それぞれの作品には日本の伝統美が再現され、芸術品のような様相を帯びている。

菊野昌宏
[プロフィール]
ヒコ・みづのジュエリーカレッジを経て独学で技術を磨き、2013年、日本人初の独立時計師アカデミー(AHCI)正会員に。代表作「和時計改」は、古の時間概念を現代に甦らせた革新作。ほぼすべての部品を手作業で製作し、年間生産数はわずか数本。


独自の自動割駒機構を開発し、文字板上のインデックスが自動的に「不定時法」を表示。和の精神を刻み、時の概念を問い直す哲学的な作風が特徴で、世界中のコレクターから注目を浴びている。
https://www.masahirokikuno.jp/

牧原大造
[プロフィール]
ヒコ・みづのジュエリーカレッジ在学中に伝説的な独立時計師フィリップ・デュフォー氏と出会い、時計製作への情熱を深めた。日本の伝統工芸と精巧な機構が織りなす詩情あふれる独創性が世界的な評価を得ている。2022年AHCI正会員。

江戸切子の文字盤にはメジロと桜を描き、10時と2時位置にあしらった花は時とともに開閉する。6時位置にはムーンフェイズ(122年に1日の誤差)の月が浮かび、地板には麻の葉紋が彫金されている。
https://www.daizohmakihara.jp/