日々のくらしに輝ける瞬間(moment)を与えてくれるモノやコト
宝飾芸術の深奥な世界
歴史を遡ると、宝飾品は紀元前より、人びとの祈りや信仰を表す神聖な存在だった。
「古来、宝飾品は人びとの心を震わせる崇高な美を宿し、身に着ける者を清める力を湛えてきたのです」と、世界屈指のジュエリーコレクターである有川一三氏は言う。氏の導きのもと、深奥な世界の扉を開く。
Text:Mari Maeda(lefthands)
Edit:Shigekazu Ohno(lefthands)
人間の祈りの造形としてのジュエリーが、人間の精神に深く関わる芸術として復活する必然性と必要性がある
祈りの形と聖なる芸術性
かつて宝飾品は、至高の芸術でありつづけた。しかし産業革命以降、大量生産の時代を経て、人びとは人類史上もっとも長く崇拝されてきた宝飾品の聖なる本質を見失ってしまう。それと並行するように、人間中心主義に傾倒してきた人類は、行きすぎた資本主義による地球環境の破壊に直面している。そうした状況の危うさに、いち早く気が付いたのが、宝飾の美を世に伝える有川一三氏だ。「真理は美を纏う」と氏は言う。真理とは宇宙であり、その美がもっとも凝縮した形として顕れたものが宝石であり、宝飾品とは祈りの造形なのだ、と。「今、地球の水が汚れ、空気が汚れ、緑がなくなり、至高の美が失われようとしています。地球から美がなくなれば、人類は滅びるしかありません。そうした劇的な転換期に、この宇宙の美、地球の美、そして物質としてもっともピュアで美しい存在である宝石と、人間の祈りとしてのジュエリーが、人間の精神に深く関わるアートとして復活する必然性と必要性がある。それが40数年前に得たインスピレーションでした」。
その直観が結実した有川氏のジュエリーコレクションは、世界の名だたる美術館をも凌駕する。「40年間、僕自身の魂が震える作品を集めつづけてきた結果、世界が僕のコレクションに感動してくれるようになりました。その感動の歴史を今から少しご体験ください」。
紀元前の神業に心が震える
有川氏が率いるアルビオンアートには、世界中から多くの要人が訪れる。現代社会において、この場所は美の本質に触れることができる聖域だ。氏は「美とは心を震わせるものである」と繰り返し語るが、その言葉の意味を、数々の作品を目にすることで体感した。
中世の修道院を思わせる展示室は静寂に包まれていて、かすかにグレゴリオ聖歌だけが聞こえてくる。「ジュエリーは神聖なものとして、中世の時代には修道僧たちがつくっていたのです」。しばし空間に浸っていると、氏の案内が始まり、「ではまず、こちらを見ていただきましょう」と、手の平に紀元前5世紀にエトルリアで制作されたというイヤリングが置かれた。その軽やかにして大輪の花のような美しさに、驚き、心震えない者はいないだろう。直径7.3cmの大きな円盤には花模様が幾重にも重なり、グラニュレーションと称される直径0.4mmほどの極小の金の粒がびっしりと敷き詰められている。当時どのようにしてこの極小の粒金をつくり出し、精緻に嵌め込むことができたのか。しばし言葉を失っていると、この技術の復元は現代では不可能なのだと氏が言う。「つくり手がいたということは、こうした美を求めた人びとがいたということです。この作品から、エトルリア人の高度に洗練された生活が窺えますね。当時は今のように、利益を優先してコストや時間が問われることがありません。代わりに人びとが感動し、魂が震えるような作品をつくることが不可欠でした。求められることが、現代とは異なるのです」。
エトルリアは紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群で、一時ローマも支配した。独自の文化を発展させたエトルリア人の宝飾技術はその後、19世紀にイタリアのカステラーニによってかなりのレベルまで再現されるが、技術に関する資料は残されていない。
ティアラが宿す「清める力」
2500年前のまさに神業を目の当たりにしたあとに、カメオとティアラの展示コーナーへと移る。瑪瑙石などに浮き彫りを施したカメオは、ギリシャ時代に生まれ、ギリシャ文明の影響を受けたローマ時代に盛んにつくられた。神々を象ったものが多く、仏教彫刻にも通じる精神性を感じたという氏は、カメオをきっかけにジュエリーの収集を始めた。一方、ティアラは花や葉を象った神聖な冠のことで、今日も王侯貴族が公式の場でのみ装着する。有川氏は、世界に肩を並べる者がいないティアラのコレクターだ。各国で開催される宝飾芸術の展覧会の多くは、氏のティアラのコレクションに依存する。
「古代ギリシャ・ローマ時代の巫女たちは、ティアラを被ることによって身を清めていました。日本の神社で榊を振り、身を清めるように、榊を頭に巻いて清めていたとすれば、理解しやすいでしょうか」。
このティアラの持つ本来の役割にこそ、有川氏が真のジュエリーコレクターとなった原点がある。頭上に光輪のように輝くティアラは、王侯貴族たちの権威を象徴する以前に、神聖なる「清める力」を宿していた。そしてこのティアラを復活させたのが、ローマ帝国に憧れを抱いたフランスのナポレオンだった。以降、ティアラを中心としたグランパリュールと呼ばれるフルセットジュエリーのスタイルが誕生し、かのダヴィッドが描いたナポレオンの戴冠式の絵画に登場する女性たちの姿にも見ることができる。この慣習は瞬く間にドイツやロシアにも伝わり、現代にまで継承されており、有川氏はロマノフ王朝のエカテリーナ2世に由来するパリュールをも所蔵する。
地球から生まれる宝石には、
真理である宇宙の美が
もっとも凝縮された形として顕れている
ダライ・ラマが語った菩薩のジュエリー
古代ギリシャ・ローマで、ティアラが巫女たちの「身を清める」ための冠であったように、宝飾品は古来、宗教的儀式や祈りの象徴として多くの文化で重要な役割を果たしてきた。古代エジプトでファラオや神官たちが、神々との結びつきを表すために宝飾品を身に着けていたことはよく知られている。キリスト教圏でもまた、十字架に象嵌された宝石や聖遺物などが、祈りを捧げるための重要な対象として尊重されてきた。地球上の崇高な美を湛える宝石や、聖遺物からなる宝飾品は、神聖なる権威と正当性を表してきた。それゆえにつくり手が捧げた創造性と技術は時に神がかり的ともいえる完成度に達し、英国の大英博物館所蔵のカメオ“ノアの方舟”の当時の価値は、ルネサンス芸術最大の支援者であったメディチ家が所蔵した最高価格の作品、フラ・アンジェリコの絵画の20倍であったという。
そうした人類の至宝ともいえる宝飾品の世界随一のコレクションを所持する人物が日本にいることに驚かされるが、先述したとおり、有川氏はこれまでに多くの要人と接し、その中にはローマ法王や世界イスラム連盟の事務総長も含まれる。「美は命の震え、魂の震えですから、宗教は関係がないのです」と静かに微笑みながら、氏はダライ・ラマ法王と謁見した際の貴重な話を語り始める。
「法王様に菩薩が付けている装飾品の意味についてお伺いしたのです。すると、仏にはいくつかの姿があると。ひとつはダルマ、つまり宇宙の真理です。大乗仏教では宇宙そのものを仏と見ます。そしてもうひとつは仏の世界、つまり真理の世界から我々を救うためにこの地上に降り立つ仏たちで、皆ジュエリーを身に着けています。『菩薩は我々を救うため、真理の世界、仏の世界から地上に来たことを、極楽浄土の美を纏うことによって我々に伝えてくださっている。ですから菩薩のジュエリーは真理の世界の美、そして我々を救いたいという菩薩の祈りの造形なのです』と、教えてくださいました」。
ジュエリーの収集を始める以前、有川氏はこの世の真理を求めて僧侶の修行を積んできた。その氏が宝飾芸術に内在する精神的な深みに気づき、その精神性を世に伝えることになったのは必然だったのだろう。そんな氏のオフィスには客人をもてなす茶室があり、菩薩像が描かれた掛け軸が飾られていた。
美は心を震わせ、
その感動が私たちを真理へと
近づけてくれる
美とは心震わすもの
こうして祈りや信仰を具現化してきた宝飾品は、それ自体が芸術作品である。その制作過程には、自然が創出する宝石や貴金属の美を最大限に引き出す高度な技術と独創性が求められ、つくり手は全神経を注いで宝飾品の芸術としての価値を高めてきた。現代においても、宝飾品は私たちを魅了する。その魅力が視覚的な喜びのみならず、深い精神性や信仰に基づいていることを知ったとき、私たちは身近なジュエリーにさえも新たな感情を抱くのではないか。
美しいものに触れたとき、私たちの心は震え、その感動が私たちを真理へと近づける。宝飾の美にはそうした作用があるのだと、有川氏は教えてくれた。
「世の中が混沌としている今、宝飾品の芸術的な価値の復権が一層求められていることを感じています」。
氏の夢は、いつか宝飾芸術の美術館をこの日本につくることだ。