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日本が誇る手仕事
輪島塗の塗師・赤木明登氏が語る、輪島塗の未来

日本が誇る工芸「輪島塗」。高級漆器を代表する美しく、丈夫な器は長く日本人に愛されてきた。それが能登半島地震によって消滅危機にあるという。そんな未来を危惧しているのが、輪島塗の人気塗師・赤木明登氏だ。震災から10カ月たっても未だ復活の目処が立たない中、そもそも輪島塗がなぜ特別なのか。その歴史や製法、さらには未来への思いについて現地の工房で話を聞いた。

Photo:Naoto Shiga
Movie edit:Masashi Nozaki, Takashi Fujioka
Camera:Nik Van der Giesen, Jhoji Asaoka
Edit&Text:Misa Yamaji (B.EAT)

「輪島塗」はなぜ特別なのか

日本人の生活や文化に古くから登場していた漆器。正月などハレの日の食卓に欠かせない器でもある。中でも、輪島塗は日本を代表する高級漆器として、世界にその名が知られている。そんな日本が誇る工芸品・輪島塗が今、危機的な状況にある。

「もともと産業の構造自体にひずみがあったところに、震災が起きて、大きく根元から崩れてしまった気がします」と語るのは、世界からも注目を集める人気の塗師・赤木明登氏だ。塗師とは文字どおり“漆を木地に塗る”人のこと。加えてデザインを考え、木地師たちにイメージを伝えて器を作る総合プロデューサーでもある。赤木氏は現在6人の職人を抱えて輪島塗の器を制作している。

国内外で多くの個展を開催し、輪島塗の塗師として今もっとも注目されている赤木明登氏。その端正で美しい器には世界中に多くのファンがいる。

なぜ今、危機なのか。その理由を尋ねると、「輪島塗は分業制。僕らの仕事はひとりではできません。木材から型をとる荒型師、荒型から器の素地を作る木地師がいて、木地に漆を塗るのが塗師の仕事。また一言で木地といっても、指物、挽物、刳物、曲物と種類ごとに専門の職人がいます。震災前の段階ですでに各職人の数が激減し、技術継承の危機にありました。それが震災をきっかけに廃業や引っ越しを決めた人も多く、先の見通しはまったく立ちません」と語る。

そもそも日本全国に漆器の産地はいくつもあるが、輪島塗を特別たらしめているのがこの分業制にある。その工程は大きく分けて木地、きゅう漆(漆を木地に塗ること)、加飾に分類されるが、ひとつの器が完成するまでに120を超える手数がかかるのだ。

2024年8月4日の輪島の風景。震災の爪痕が未だ生々しく残る。

輪島塗を表す言葉に「堅牢優美」というものがある。

「優美さ」は、一流の職人たちの技術の結集から生まれる。

一方「堅牢さ」は、輪島塗の肝でもある“塗り”の工程から生まれる。欠かせないのは、「地の粉」の存在と「布着せ」という工程だ。「地の粉」は能登半島で多く産出される珪藻土の一種で、この土を蒸して粉砕し、漆に混ぜて下塗りすることで強度や耐熱性が増す。この「地の粉」が入っていなければ輪島塗と名乗ることができない。また「布着せ」という工程は、塗りの作業の一部で、器の木地の壊れやすい部分に布を漆で貼り付けることで強度を高めること。これらの過程を含む、“塗り”の工程は20近くにおよぶ。こうして職人たちが時間と労力をかけて生み出した美しさこそが“塗りの輪島”と異名を取る、輪島塗の特徴でもある。
つまり、輪島塗は、輪島という大地と、伝統を受け継ぐ職人がいなければ成り立たない。しかし、今回の震災でその根幹が崩れてしまったのだ。実際、取材班が訪れた8月上旬でも輪島には全壊・半壊した建物がそのまま残り、人の気配も少ない。震災時から時が止まったままのようだった。

被災し、ひしゃげた建物を引き上げる形で再建した木地師の工房。

「でも、職人こそかけがえのない存在。彼らのからだの中に“いい形”がある。例えば僕が木地をお願いしていた86歳の木地師・池端満雄さんの中に息づく伝統が、長年の経験と重なり美しい形となって木地に滲み出てくる。僕はそれを引き出し、器にしています。だから被災した池端さんが“職人を続けたい”と言ったときに、池端さんの工房再建を心に決めました。彼の木地を途絶えさせたくないという思いと同時に輪島塗の木地師の仕事に光をあてたかったからです」。

3月にはSNSで集めた寄付金で、ひしゃげた池端氏の工房を引き上げ立て直す工事をした。自身の工房で働く弟子の中から希望した二人の若者を新しい池端氏のもとへ出し、技術の継承にも乗り出した。

池下氏が最後に製作した木地。「まだ、塗る気になれなくてね」と赤木氏が寂しそうに呟く。

しかし、7月に池端氏は帰らぬ人となってしまう。

「『私は、ここで仕事ができるのが、楽しい』と何度も言ってくれたのが救いです」さっきまで池端氏がいたかのような作業場を見つめ、赤木氏は呟いた。これからは角偉三郎氏の木地を作っていた木地師が来て、弟子を指導してくれることになりました。池端氏に習ったのは約2カ月ですが、一人前になるまで支援していくつもりです」。

膨大な塗師の仕事

4回塗る下地塗りの工程の2番目、「二辺地」。

赤木氏自身は4月には工房を再開し、器の制作に精力的に取り組んでいる。取材時は8月末に行われる30周年記念の展覧会のために500点近い器を仕上げているところだった。

「私たちは、ここで木地師の方が仕上げてくれた木地に漆を塗って、作品にしています。“塗り”と一言で言ってもその工程は非常に多岐にわたり、職人で分業しながら製作します」と赤木氏。

下塗りの途中、漆を乾かしているところ。

その工程は主に“下地塗り”と“上塗り”に分けられる。赤木工房では、“下地塗り”は赤木氏以外の職人たちの仕事で、“上塗り”は赤木氏だけが携わる。

“下地塗り”と一言で言っても、最初の生漆を木地に浸透させ、漆で固める「木地固め」からはじまり、輪島塗の堅牢さの特徴となる「布着せ」、さらには磨きながら4回にもおよぶ下塗り、上塗り前の中塗り、と上塗り前の工程だけでも20を超える。

しかも、漆を塗っては固化させて、という作業を繰り返すのでひとつの器ができあがるまでに相当な時間がかかるのも推して知るべしだろう。

器に塗る漆は、塗る前に和紙で漉す。

上塗りは、工房の2階にある上塗り専用の部屋で行われる。

漆のなめらかな表面にチリひとつ付いてはいけないため、細かいゴミなどが一切入らないよう掃除を徹底し、塗りの作業には衣服のほこりが入らないよう専用の“つなぎ”を着用するという。また、温度や湿度も漆の状態を変化させるため、常に気を遣う。

ハケで一気に上塗りを施していく。

漆は不純物を取り除くために和紙で漉したものを使用。塗りむらを出さないよう均一に塗るには熟練の技が必要だ。

塗り上げた器は乾かして漆を固化させ、ようやく完成する。

多くの職人たちの手を経てできあがった器は、人の手による温もりと、しみじみとした美しさが宿っている。

輪島塗が残るために必要なこと

江戸時代の飯椀の形を写した「地久椀」。赤は漆器の基本の色だという。

未曾有の災害を経て、職人が激減し輪島塗の根幹でもある分業制が崩壊危機にある今、輪島塗の復活にはなにが必要なのだろうか?

赤木氏は、そんな問いに、少し考えてから「私は原点に戻ること、ではないかと考えています」と答えてくれた。

「漆器とは、そもそも生命力の再生を願う人間の精神性を支える道具でした。神様や先祖に感謝をし、漆器を扱っていたのです。私は漆器を作る漆や木などの完璧さを損なうことなく道具に表したい。そこに敬意を持つということです。こうした精神性を話すと難しく感じるかもしれませんが、実際個展では、幅広い年齢層の方が僕の器を求めてくださる。つまり、精神性から生まれた美しさは声高にしなくても伝わっていると思うのです。本質的なものをただ作れば、必要とされる。それが一番重要なのではないでしょうか」

輪島塗 塗師の仕事 動画はこちら

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