moment 2016年9/10月号
レクサス開発陣に聞く

LEXUS GS F レクサス車両実験部 動的性能開発室 主幹
林 毅

文・渡辺敏史 写真・川口賢典

レクサスの“F”を語る上で欠かせないのがその音作り。走行音をデザイン/チューニングするというアクティブサウンドコントロール(ASC)を搭載したGS Fのエモーショナルなサウンドはいかに生まれたのか──。

林 毅
はやし たけし

振動騒音のCAE解析を経験後、LSの静粛性開発を担当。LFAのエンジンサウンド開発を機に、2010年よりIS、RC、RC F、NX、GS FのASC開発とサウンドデザインを担当し、水を得た。日々、DSPプログラムと格闘。“音”はライフワークである。脳神経科学書と哲学書を愛読。クラシックカー好き。

運転の臨場感を高めるサウンド技術、アクティブサウンドコントロール(ASC)の効果を試聴いただけます

ASC ON

ASC OFF

※推奨環境は、Chrome、Safari、Firefoxの最新版となります。
※Internet Explorerでのご試聴の場合、再生・停止のみの操作となります。
※推奨環境以外でご使用の場合はデザインおよび一部の機能で不具合が発生する可能性がございます。

※サウンドは2速→3速→4速→3速→2速と変速状態のものです。
※10秒過ぎで入る「ピー」という音は、オーバーレブ防止音です。
※バイノーラル録音のため、イヤフォンもしくはヘッドフォンでお聴きいただくと臨場感が再現されます。

レクサスが奏でる協奏曲の高揚感

レクサスの“F”を語る上で欠かせないのがその音作り。走行音をデザイン/チューニングするというアクティブサウンドコントロール(ASC)を搭載したGS Fのエモーショナルなサウンドはいかに生まれたのか──。

車の「原音」と「調整音」を融合。ASCの魅力

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渡辺:林さんの仕事というのは、レクサス車両実験部 動的性能開発室 主幹という立場で、レクサスの車から発せられる音を総合的に監修しているという解釈でよろしいんですかね?

林:そうですね。最近は要所ごとに音を積極的に加えることで、今までとはひと味違う魅力的なサウンドを形成する、「アクティブサウンドコントロール」(以下、ASC)という技術の展開を進めています。

渡辺:ASCは、操作状態や速度などによってさまざまに変わる車内走行音に、電子的な効果音を加えることで、より官能に訴えるサウンドを実現するシステムですよね。すでにいくつかの車種に搭載されています。

林:そうですね。RC F、NX、輸出モデルのRC、ISにも搭載しています。そして今回のGS Fでは第2世代と申しますか、ソフトもハードも刷新したものを搭載しました。

渡辺:今回はそこを切り口に、レクサスのサウンドデザインについてお伺いしたいのですが、そもそもASCとは、どういう考えかたのものなんでしょうか。

林:車の官能性って視覚や触覚といった五感に訴えるもので、もちろん聴覚にも訴えるところがあるわけです。そこをより強化したいんです。そしてなおかつ、レクサスらしいものにしたい。となると、何が出来るのか。そこから生まれたアプローチですね。

LEXUS GS F

加速に呼応するサウンド。そこにお客さまの期待がある

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渡辺:レクサスオーナーの聴覚を刺激する要素、ですか。

林:ええ。車好きが思う「いい音の要素」には何があるのか。それは3つの要素に分かれるというのが僕の持論です。

渡辺:それは……いったいどんな感じなんでしょうか?

林:まずひとつ目は運動知覚とでもいうのでしょうか。速度の高まりに従って、気持ちよい加速度を体感すれば音が大きくなることを許容し、景色の流れがそれを助長し……と、その運動状態を人は複合的に受け止めるわけです。大脳皮質というのはつねに情報を多重化していて、単元的には判断していない。複合的な文脈が一本の糸にまとまっていく過程の気持ちよさ、これに違和感なくASCは応える必要があります。ちょっと脳科学的な話ですが。

渡辺:ははぁ、うーん、なるほど……。林さんはそういうことを考えながら、音作りを手がけられているんですね。

林:そうですね。あとは音源知覚とか、操作応答とか、そういう3要素を意識しています。まぁ、総合運動知覚とひとつの言葉にまとめてもいいかもしれませんが。

渡辺:その総合運動知覚というのは、まず車が今、どういう状態であるかを実感するために重要なわけですね。

林:ええ、そうです。エンジンの音や吸排気音が高まるとともに、景色の流れも当然変わります。速度が上がれば風切り音も増しますし、急加速の際にはG(グラビティ=重力)もぐっと増します。このあたりはドライバーの経験値によって受け止めかたも変わりますが、総じて加速の際にこういう感じで音が高まっていくという知覚感覚の原理は同じようなところにあるわけです。逆に言えば、音質的にもタイミング的にもズレがあると人はすぐにそれを感じ取ります。

渡辺:ドライバーの多様なキャリアや運転パターンに呼応する、違和感のない官能性の演出。そういうことができるんですね。

林:確かに音は多様です。車のエンジンひとつとってもアルミ部品とスチール部品とでは共振点や剛性が違うので当然放たれる音質も異なります。が、同じ金属系ではあるわけで、樹脂系の部品が放つような音は出ない。そういう秩序は守りながら、どう違和感のない演出を加えるかがポイントでしょうか。

LFAの響きもASCで再現可能に?

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渡辺:秩序という面でいえば、レクサスらしい音質にするために、何か決まりごとはあるんですか? それはASCでの音作りにも大きく影響してくることかと思うのですが。

林:それはすべて私が決めています。合議的なこともやってみたりしましたが、やはり人それぞれ、好みが違うのでこれが全然まとまらないんです。よくある話で、それをすべて受け入れていると“総合評価80点”的な個性の薄いものになってしまう。だから、音質というか音色や全体印象のデザインは私のほうで、各モデルに求められる嗜好性を加味しながら調律します。

渡辺:たとえばGS Fの場合、走行モードに応じて加えられる音がはっきりと変わりますよね。

林:ええ、変えています。やはり、「SPORT+」のモードではドライバーも特別な期待値があるでしょうから、吸排気の音なども派手めというか、わかりやすく躾けますよね。たとえばアクセルを抜いた時のバララッ……と燃焼残りが弾ける感じとか、実際はそういうことは起きていないんですが、運転のライブ感として好まれるお客さまも多くいらっしゃる。そういうアナログ的な要素を音源として加えたりしています。

渡辺:そういう効果音というのは、実車の音をサンプリングして加えるんですか?

林:すべてDSP(デジタルシグナルプロセッサー)で再構築したデザイン波形です。

渡辺:原音そのままである必要はないと。

林:プログラム化することで、より音への理解が深まり、次の創造へもつながっていきます。もっと重要なのは、ASCは実車の原音を歪めるようなものではないということです。あくまで素材、つまり実車の生音がよくできていることが基本で、そこに振りかけるスパイスとしてこれがあるという感じでしょうか。

ですから、ASCのハードウェア自体は全然大袈裟なものではありません。GS Fの場合は前後にふたつ、5センチと9センチのスピーカーを小さなエンクロージャーに収めて置いています。このエンクロージャーはちょっとしたノウハウを入れてますが、これに小さな制御CPUとオンオフ用のスイッチ、そのくらいのものです。

渡辺:なるほど。ちなみにレクサスで「音」と言われて思い出す車がふたつあります。そのうちのひとつはLFAなのですが、あれは完全に車体のみで奏でる生音なんですよね。

林:そうです。実は私もサウンド開発に関わりました。車室のいろいろな空間や部材の共振を設計し、また、吸排気管もほぼ理想的に取り回すことができました。つまり狙った音をそのまま鳴らせているという感じです。

渡辺:そして、LFAは高価格かつ限定生産のスーパースポーツカーですから、設計側も無理がきく。

林:その通りです。普通のモデルでああいう吸排気設計や素材選定、製造工程は絶対叶いません。そこはなるべく理想値に近づけながら、でもLFAのような響きが欲しいという話になれば、このASCのようなデバイスも活用性が広がるかなぁと思っています。

渡辺敏史

渡辺敏史の取材後記

徹底した静粛性を追求しながらひたむきに向き合った「調整音」という名の美しき旋律

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指定の会議室にひと足早くやってきて、モニターと外付けスピーカーをPCに繋ぎ、いつでも説明開始できる態勢で僕らの到着を待ってくれていた林さん。もちろんご自身の業務領域に対する真摯さはハンパではない。プレゼンではゲシュタルトだのカニッツァ・トライアングルだのと、開発の過程で普通に自動車工学と向き合う限り一生触れることもなさそうな心理学のキーワードがバンバン飛び出す。僕ごときがそれについていけるわけはないのだが、ひと通りの説明を伺ってみれば、辿り着いた答えはシンプルだった。

いい音が楽しめればその車に愛着がわく。いつまでも乗っていたいと思える。

ASCはそう思ってもらうためのお手伝いに徹しているわけだ。

運転の臨場感をいかに高めるか……という官能評価における音の役割は非常に大きい。その一方で、現代の車には環境性能向上のためのさまざまなデバイスが付加されている。特に音を作る上で大事な吸排気系にはセンサーやフィルターが張り巡らされ、思慮なく作れば綺麗な音を奏でることは期待できない。エンジン本体も然りで、現在の超高効率設計では味としてのメカノイズも排されてしまい、音の厚みや深みなどは望めない。端的に言えば車好きにとっての気持ちいい音を今に照らせば、贅肉的な余剰の賜だったのだろう。

レクサスにはその出発から、音における贅肉を削ぎ落とすことで類いなき名声を積み上げてきた経緯がある。最たるものは、レクサスの音を象徴するもう1台の車である初代LS。日本では初代セルシオとしてヒットした、四半世紀以上前のモデルだ。

トヨタにおける林さんのキャリアは、大半がこの音消しの側にあったという。消して消して消しまくって、車室を茶室にしてしまったかの如き静粛性をLSにもたらした功労者。その林さんは傍らで、このASCを実現するための研究をプライベートのライフワークで取り組み続けていたそうだ。遡れば1970年代、シンセサイザーの普及と共に音の世界にどっぷりと浸かり、80年代にはさまざまな音を作り込み……と、その頃は車の音と電子音とを違和感なくキャリブレーションするなんて仕事は考えられなかっただろう。

好きであるからこそ続けられたライフワークが今、ソリューションの進化と共に叶えられるようになった。何十年も費やして研究し続けてきた音の新しい可能性。でもそこに至って林さんは、エンジンが発する原音に最大限の敬意を払い、自らのASCには黒子を演じさせている。「ASCの可能性をもっと引き出すには、まだ自分の技術は道なかばです。目的地はまだ先です」と林さんは言う。

GS Fのそれを試してみれば、有無の違いは誰の目……ではなく、耳にも明らかだろう。が、一方でもっともアグレッシブなエフェクトが加えられる「SPORT+」モードでスポーティに振る舞ってみても、加えられた音の違和感は一切感じない。高回転型のV8直噴リッターNAエンジンという、今や稀有なエンジンのキャラクターをことさら盛るでもなく、でも端々にニヤッとさせる仕掛けを盛り込んでいる。

レクサスとしての品位を念頭に置きながら、どこまで音で歓びを感じてもらえるか。ちなみに林さんが昔から好きな車のサウンドは、旧いアルファロメオのそれだという。いわばアナログの極致ともいえるその頃の車が奏でる音のイメージを、ASCのエフェクトに重ねてみるのも面白い乗りかただと思う。

わたなべ としふみ◎1967年福岡県生まれ。二輪・四輪誌の編集経験を経て、フリーランスの自動車ジャーナリストに。以来、自動車専門誌にとどまらず幅広いメディアで活躍。その緻密な分析とわかりやすい解説には定評がある。著書に『カーなべ』などがある。

moment 2016年 9/10月号より